「信仰の弱い人」と言うと、クリスチャンになりたての人や、信仰歴の浅い人をイメージしてしまいますが、必ずしもそうではないと思います。何十年もクリスチャンとしての歩みをしていても、「信仰の弱い人」はいるのではないでしょうか。私は「信仰の弱い人」とは、クリスチャンとしての時間的な長短や、教会の奉仕の多少ではなく、「霊的成長」の問題であると思います。
霊的な成長には個人差があります。大切なことは「いかに歩んでいくか」ということです。「霊的成長」の上でなすべきことは以下のように考えます。「祈りの生活」、「みことばの学び」、「聖霊の満たし」の中で、教会において礼拝第一とし、奉仕と交わりを大切にしていくことです。
このようなことは今更申し上げるまでもない当たり前のこと、基本的なことです。しかし、スポーツ選手がスランプに陥った時、基本に立ち返るように、私たちの信仰者としての歩みも常に「救われた時の喜びと感謝」という基本を忘れてはならないと思います。
このような歩みを継続する中で、主の霊に整えられて霊的に成長し、キリストの証人として、喜びと感謝のうちに主を証しする歩みができるのではないでしょうか。
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