主日礼拝
2月3日 午前10時30分より
メッセージ:「本質を見誤らないために」
聖書:ルカによる福音書16章14-18節
説教者:小野慈美牧師
(14)ルカ16:1-13のたとえを聞いたファリサイ人が、イエス様をあざ笑いました。何であれ、不正を是認するようなイエスはどうかしていると思ったわけです。また、イエスをあざ笑うことによって自分たちの正しさをひけらかそうとしました。さらに、彼らは正しく生きていれば富も与えられると考えていましたから、富を持つことは神の祝福のしるしになるので、かえって金に執着することがあったのです。
(15)それに対して、イエス様は、「神はあなたがたの本心をご存じだ。表面的に正しさを取り繕うことほど、神の前で醜いことはないのだ」と言われました。
(16)また、旧約律法の戒めを守ることによって神に受け容れられるのではなく、本来、神の国にふさわしいとはいえない者でさえ「力ずくで」、つまり、強引とも思える仕方で迎え入れられる新しい時がきたのだと言われました。(17)しかし、それは、律法などどうでも良いということではなく、律法の本質はいよいよ大切にされなければならないのです。
(18)は、その例として挙げられています。この言葉は、単純に離婚を認めないということではありません。旧約でも、離婚は条件付きで認められていました。「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」(申24:1)。しかし、この言葉が夫にとって実に都合よく用いられ、「恥ずべきこと」には、皿を割る、道で長話をするなどのことまで含まれていたようです。ですから18節のイエス様の意図は、夫の身勝手な理由で妻に離縁状を渡すことに対する批判です。ファリサイ人らは、このような身勝手なことをしても、表面的に律法を守っていればよしとし、しかも自分を正しいとしている。しかし、彼らは、律法の本質を見失ってしまっているのだと。
神にふさわしくない者も赦され愛され、「力ずくで」神の国に招かれている。そのことを深く味わい知ったならば、自分だけが正しいなどと、お高くとまっていることはできなくなる。だから、神の前に自らを低くし、隣人を愛する。これこそが信仰者の本質なのだ。表面的に偉い人、正しい人が、神に受け入れられるのではない。むしろ、自分で自分を正しいと持ち上げる者を神は「忌み嫌われる」(15)のだというのです。
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前 奏 - 愛する神にのみ 依り頼むものは - J.S.バッハ
招 詞 ローマの信徒への手紙 12章1節
賛 美 21-13(1,3,6節) みつかいとともに
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第84編
賛 美 - いのちと愛に満つ - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-364 いのちと愛に満つ
聖 書 ルカによる福音書 第16章14-18節 (新共同訳新約 141頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「本質を見誤らないために」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-521 とらえたまえ、われらを
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21-78(1,2,4節) わが主よ、ここに集い
聖書朗読と感謝祈祷
賛 美 21-24(アーメン) たたえよ、主の民
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
【バプテストデー】
1873年(明治6年)2月7日、ネイサン・ブラウン、ジョナサン・ゴーブル宣教師夫妻がアメリカ北部バプテスト伝道協会から派遣されて横浜に到着、日本での宣教活動が本格的に幕を開けました。日本におけるバプテスト派の宣教開始を記念して、日本バプテスト同盟では2月の第1主日を「バプテストデー」と定めています。
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