主日礼拝
4月28日 午前10時30分より
メッセージ:「心が燃えた」
聖書:ルカによる福音書24章13-35節
説教者:小野慈美牧師
「心は燃えていた」(32)とは興奮や気分の高揚とは違います。興奮は冷めますが、イースターの喜びは永続するものです。そして、イースターの喜びを知らないと、クリスマスの喜びも生まれません。
二人の弟子がエルサレムの西方向にあるエマオという村へ向かっていました(13)。彼らはその日の朝、仲間の女性たちから一つの報告を聞きました。主イエスの墓はからであり、そこにいた天使たちが「主イエスは復活なさった」と告げたと。彼女たちは「墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた」(9)とあります。二人はこの「ほかの人」に含まれていたに違いありません。
二人は女性たちの話が信じられませんでした。そこで「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」(14-16)。不信仰な弟子たちに、主イエスのほうから近づいていかれました。そして、彼らの鈍さ、愚かさを嘆きつつも(25)、忍耐強く「聖書全体にわたり」丁寧に語ってくださいました。
夕方になり、二人はその旅人と別れがたい思いが募り、「一緒にお泊まり下さい」(29)と引き止めました。食事の席で「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると二人の目が開けて、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』」(30-32)と語りあいました。
私たちは、この二人の弟子たちのようには、主イエスを見ることはできません。しかし、不信仰で、物分かりが悪く、心が鈍い私たちにも、主イエスは近づいてきてくださり、今も、聖書の言葉を通して、忍耐強く語っていてくださいます。「もうお前なんか知らない。これだけ言ってわからないのなら、もう面倒を見るのはやめだ」といって、見捨てることをなさらないのです。
「自分は、少しも内に燃えるものがない」と感じている方も決して除外されてはいません。むしろ、暗い顔をして、うつむいておられるあなたにこそ、主イエスは近づいてこられ、あなたの訴えに耳を傾けて下さり、そして忍耐強く、語り続けて下さいます。そしてキリストがまさにこの自分に語っておられるという経験をするとき、心が燃えるのです。それが復活のキリストとの出会いです。
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前 奏 - 復活の主は - J.S.Bach
招 詞 ローマの信徒への手紙 第12章1節
賛 美 21-325 キリスト・イェスは
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第30編
賛 美 - 主はわたしの歌 - 武義和 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-333(1,3,4節) 主の復活、ハレルヤ
聖 書 ルカによる福音書 第24章13-35節 (新共同訳新約 160頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「心が燃えた」 小野 慈美 牧師
祈 祷
任 職 式 教会音楽奉仕者
賛 美 21-334(1~5節) よみがえりの日に
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-27(アーメン) 父・子・聖霊の
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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