主日礼拝
5月26日 午前10時30分より
メッセージ:「神の国はここに」
聖書:ルカによる福音書17章20-37節
説教者:小野慈美牧師
イエス・キリストが世の終わりに再び来られ(再臨)、神の国が完成すると約束されています。ルカが福音書を書いた当時(AD80頃)、教会の中には、再臨がすぐに起こると考え、それが「いつ」であるかが関心事となり、地に足がつかないような人たちがいました。そこでルカは、「ほら、イエス様が言っておられたでしょう。前以て知ることは誰にもできないのだから、惑わされてはいけない」(21-24)と警告しているのです。
(1)主の再臨を待ち望む者の生き方。
①「いつ」かはわからなくても、準備をしていなさい。26-27節は、創世記6-8章のノアの箱舟の出来事について言及しています。洪水は突然やってきました。準備をしていたノアとその家族だけが守られました。
②この世のものに執着せず、身軽でいなさい。28-30節は創世記19章の出来事です。神は、悪に満ちていたソドムとゴモラの町を滅ぼすことを決意されました。ただし、アブラハムのとりなしによって、甥のロトの家族だけは「山に逃げるように、ただし、後ろを振り返ってはならない」という指示を与えられました。ロトと妻と二人の娘たちは、必死で逃げ、間一髪で難を逃れたのですが、ロトの妻は言いつけにそむいて後ろを振り返ったため、塩の柱になってしまいました。「ロトの妻のことを思い出しなさい」(32)とは、過去にひきずられるな、この世のものにあなたの心を支配させてはならないという意味です。
(2)神の国は「いまだ」完成していない。しかし、神の国は「すでに」来ている。
主イエスがおられるということがすでに神の国の始まりです。では、神の国は今どこにあるのでしょうか。 それは教会です。もちろん、教会は、弱さや欠けを持った罪人の集りですが、主イエスはまさにその罪人の群れの中に身を置いてくださいます。その意味で、神の国は「あなたがたの間にある」(21)のです。
教会が神の国だということは、この世から隔絶した集団を作ることではありません。教会は、世に在って、世に向かって、神の国を宣べ伝えます。ただし、世に在るということは、世から影響を受けることでもあります。しかし、教会が、世界から影響を受け変質してしまったら、主は「ここに」おられなくなります。イエスが主であることを確認し続け、主の御心を見失わないためにわたしたちは集まって礼拝をするのです。
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」(コロサイ3:23)
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前 奏 - 天にまします我らの父よ - J.S.バッハ
招 詞 イザヤ書 第43章1節
賛 美 21-363 み神の力は
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第100編
賛 美 - 主よ、来たり、祝したまえ - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-319(1,4,5節) 輝きのこの日
聖 書 ルカによる福音書 第17章20-35節 (新共同訳新約 143頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「神の国はここに」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-580(1,3,4節) 新しい天と地を見たとき
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-25 父・子・聖霊に
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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