主日礼拝
6月2日 午前10時30分より
メッセージ:「祈りは聞かれるのか」
聖書:ルカによる福音書18章1-8節
説教者:小野慈美牧師
当時、やもめは最も立場の弱い人でした。裁判官が、最終的に彼女の訴えをとりあげたのは、決して彼女に同情したからではなく、あくまでも「うるさくてかなわない」(5)という自己都合からです。彼女の正しさは、自分の社会的立場がどうであれ、訴えるべきところに訴えたということ、そして、あきらめなかったということです。神と裁判官の共通点は、裁く権威のある者ということだけです。最悪の裁判官でさえ「気を落とさずに絶えず」(1)訴えるならば、しぶしぶであろうと耳を傾ける。まして慈しみ深い神が耳を傾けてくださらないはずがあろうかというのがたとえの趣旨です。
(1)人間の願いがかなうかどうかという点では、必ずしも祈りは聞かれません。
私たちも、ときどき、「気を落と」します。神に訴えても何も起こらない。立派な人の祈りならともかく、私のような者の祈りなど神様は聞いてくださらないに違いないと決めつけ、あきらめの気持ちから「御心が成りますように」と言ってしまってはいないでしょうか。
しかし、この女性が立派な信仰者であったという訳ではありません。言えることは、彼女は、自分の無力さを知っており、自分で何とかできないことは明らかなので、裁判官に訴え出ざるを得なかったということです。このたとえは、私たちが忍耐強く祈ることを勧めると共に、神がいつでも忍耐強く耳を傾けて下さるお方であることを思い出させることを意図しています。
(2)人間の祈りは必ず神に届いている。その意味では祈りは聞かれるのです。
小さなことについて祈る祈りも、神の国の実現を祈る祈りも、本質的には変わりません。ただし、答えは三通りです。①Yes(はい),②No(いいえ),③Wait(待て)です。③の場合、あたかも神が沈黙しておられるように感じることもあります。しかし、すぐに答えが無くても、それは神に拒絶されていることを意味しないのです。神は信頼してよいお方であり、祈りは必ず神に届いているのです。時間がかかるかもしれないし、神が思いがけない方法をお取りになるかもしれない。しかし、そのことをこそ神にお任せするという意味で(あきらめの気持ちではなく)「御心がなりますように」と祈るのです。最終的には、神が愛と正義を貫いてくださるという信頼をもって、神の国を求める祈りを続けていきましょう。
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前 奏 - 主イエス・キリスト、我らを顧みたまえ - J.S.バッハ
招 詞 ペトロの手紙Ⅰ 5章6-7節
賛 美 21-497 この世のつとめ
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第15編
賛 美 - 聖霊ゆたかに - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-406 聖霊ゆたかに
聖 書 ルカによる福音書 第18章1-8節 (新共同訳新約 143頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「祈りは聞かれるのか」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-494 ガリラヤの風
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21-78(1,2節) わが主よ、ここに集い
聖書朗読と感謝祈祷
賛 美 21-27(アーメン) 父・子・聖霊の
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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