6月23日 午前10時30分より
メッセージ:「軽やかに生きるために」
聖書:ルカによる福音書18章18-34節
説教者:小野慈美牧師
「ある議員」は、おそらく最高議会の議員でユダヤ社会のエリートであり、富も地位も名誉もある人物。「何をすれば、永遠の命(神との交わり:神に受け入れられること)を受け継ぐことができる」かとの問いに対し、主イエスが確認した20節の内容は、十戒後半の隣人に関する戒めです。「すべて守っている」と彼が答えると、主イエスは「あなたに欠けているものがまだ一つある」(22)と言われました。それは何なのか。
「持ち物を全部売り払いなさい」という勧めは、あくまでもこの議員個人に対して言われたことであって、一般化してはなりません。彼に欠けていたことは、十戒前半に示されている「偶像崇拝をしない」(出エジプト20:3-6)という姿勢です。彼は、他の神を拝んでいたわけではありませんが、神よりも富や地位を優先するという意味で偶像崇拝をしていたのです。
富も地位も、すべて神から与えられています。所有権は神にあり、人は使用権を託されています。神の御意思を求め、御栄光のために使用するならば、所有は祝福されます。使用権は、必要が無くなれば手放すことができます。必要もないのに手放せないのは所有に縛られていることです。所有そのものが目的になったり、地位にしがみつくことは、それらに支配されており、偶像崇拝に他ならないのです。
「わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができない…金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。…金銭の欲は、すべての悪の根です」(Ⅰテモテ6:7-10)。29節の家族を捨てなさいという勧めも、捨てること自体が目的ではありません。家族も、神から与えられたものであり、家族に執着すると、それが偶像になり、神が与えようとしておられるのとは違う不健康な家族関係になるのです。
神に従うことは簡単なことではありませんが、神の恵みによって可能となります。「人間にはできないことも、神にはできる(27)」からです。神以外のものを神とせず主イエスに従うことは、束縛ではなく、偶像の支配から守られることであり、一見厳しい主イエスの言葉は、実は、自由への招きなのです。
「主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています」(フィリピ3:8)。主イエスに捉えられるとき、握りしめているものを手放して軽やかに生きることができるのです。
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前 奏 - 来たれ聖霊よ - P.プラニアフスキー
招 詞 ローマの信徒への手紙 第8章28節
賛 美 21-346 来たれ聖霊よ
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第34編2-11節
賛 美 - 主よこの時代に - メンデルスゾーン 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-406 聖霊ゆたかに
聖 書 ルカによる福音書 第18章18-34節 (新共同訳新約 144頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「軽やかに生きるために」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-522 キリストにはかえられません
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-88(アーメン) 心に愛を
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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