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横浜駅近く、丘の上にある教会。捜真バプテスト教会です。

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礼拝Worship

  メッセージ > 先週までの礼拝 > 2019年2月10日

先週の礼拝


主日礼拝
2月10日 午前10時30分より
メッセージ:「神に依り頼む者」
聖書:ルカによる福音書16章19-31節
説教者:小野慈美牧師

 主イエスは、このたとえで人間の死後に言及しておられます。しかし、これは、人間が死後どうなるかを知らせるためにお語りになったのではなく、ファリサイ人への警告として語られたものです。
 ある金持ちの家の門前にできものだらけのラザロという人がいた。ラザロとは「神に依り頼む者」の意。彼は、宴会が行われている金持ちの門前で、食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。その食物を求めて、犬も門前にやってきた。彼は犬と同じ扱いを受けていたということです。この二人が死に、ラザロはアブラハムのそばに導かれ、金持ちは陰府(よみ)で、さいなまれながら、「父アブラハムよ」(24)と助けを求めている。彼は、イスラエルの祖先アブラハムを父と呼ぶことで、自分は選ばれた民に属する者だと言いたいのです。神が忌み嫌われるものは、高慢であるのに、自分は「アブラハムの子」だから憐れみを受けるのは当然だと思いあがり、さらに、ラザロを召使いのように扱おうとしている(24)。高慢な人間は、高慢であることにさえ気づかず悔い改めないものです。高慢と卑屈はコインのウラオモテです。卑屈とは、自分が序列で上に行けないことへのひがみですから、下の立場の人に対して横柄にふるまい優越感を味わいたいという屈折した思いになります。
 私たちは、やがて、裸で神の前に立ちます。いいえ、今も、本当は裸なのです。富や地位や権力を持っていても、それらは皆与えられたものであり、人間は本当は無一物です。ラザロがアブラハムのもとに迎えられたのは特別信仰深く生きたからだとか、良い人であったからだとかは書かれていません。ただ、「ラザロ」として、つまり「神に依り頼む者」として生きた。それだけです。
 しかし、このたとえを語られた主イエスは、警告で終らせたのではありません。ご自分の十字架によって、私たちが生きている今も召されるときも、神の御支配の中で、アブラハムのすぐそばで、生きることができる道を切り開いてくださいました。神が私たちを愛してくださるのは、私たちの持ち物の故ではないのです。金持ちであろうと高い地位の者であろうと、本質的には「神に依り頼む者」であることに変わりはない。そのことを知って「神に寄り頼む者」を神は決して軽んじられないのです。


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前   奏    - 愛する神にのみ 依り頼むものは - K.G.ウムブライト
招   詞    イザヤ書 第45章22-23節a
賛   美    21-227(1,3,4節) 主の真理は
主の祈り   
交 読 文    交読詩編 第42編
賛   美    - あなたの助けは -              聖 歌 隊
分かち合い
賛   美    21-364(1,2,3,6節) いのちと愛に満つ
聖   書    ルカによる福音書 第16章19-31節 (新共同訳新約 141頁)
祈   祷
黙   想
説   教    「神に依り頼む者」              小野 慈美 牧師
祈   祷
賛   美    21-464 ほめたたえよ
献   金
感謝祈祷
賛   美    21-25 父・子・聖霊に
祝   祷                           小野 慈美 牧師
後   奏

礼拝堂正面のイエス様Soshin Baptist Church捜真バプテスト教会

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神奈川県横浜市神奈川区栗田谷42-43
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