「心の目を開いて」ください

牧師 森 島 惠


  そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、   ルカによる福音書24章45節

 
初代教会の使徒たちは、十字架にかけられた主を神様がよみがえらせたという驚くべき出来事の証人として宣教活動を推し進めました。そして復活を信じる人々の数は増して行きました。しかし、彼らは初めから主イエスの復活を信じることができたのではありません。聖書は、主イエスの復活を知らされた者がとったそのままの姿を私たちに伝えています。

 週の初めの日の明け方早くに、婦人たちは墓を訪れました。マグダラのマリヤ、ヨハンナ、ヤコブの母マリヤそして一緒にいた他の婦人たちです。男の弟子たちは、墓に行くことができないほどひどいショックを受けていたようです。婦人たちは、死体に塗る香料を用意していました。この人たちは、死体を見ることだけを考えていたことが、分かります。しかし、そこでは主イエスの遺体を見つけることができませんでした。天からの使いは、すでに「復活された」主イエスは死者のための墓にはおられないと告げました。

 そして、かつて主イエスが語られた言葉を思い起こさせます。「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている」と。神が計画された出来事は、「必ず」実現されるのだと。この言葉を思い起こしたそのとき、「墓へ」と向かっていた婦人たちは、「墓から」帰って弟子たちにこの出来事を「知らせる」者となりました。しかし、彼女たちから復活の出来事を聞いても弟子たちは、この話がたわ言のように思われて信じることができませんでした。

 彼らが信じる者へと変えられたのは、イエスご自身が近づいて来て、一緒に歩き始めてくださったときからです。主が彼らの真ん中に立たれ、「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。」と言って、手と足を見せてくださったのです!そのとき、彼らの心の目が開かれた。弟子達の信仰の熱心が、復活の主を信じさせたのでも、その目を開かせたのでもありません。復活の主ご自身が、不信の弟子達に自ら近づいて来て下さったのだ!と聖書は証言しています。

 パウロの祈りは、私たちのための祈りです。

『どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。』  (エフェソの信徒への手紙1:17-18)


おちぼ113号より

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