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捜真バプテスト教会教会員 佐藤和久牧師 | ||||||
マルコ10:46〜52に「ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞い」のお話があります。「バルティマイ」の「ティマイ」は父の名(不浄の意)です。そして、「バル」とは「子」という意味です。すると「ティマイの子でティマイ(不浄)の子」がエリコの町に懸命に生きていた。ということになります。すなわち彼はいつも父の名で呼ばれ不浄と呼ばれて、自分の名で呼ばれたことが一度もなかったという寂しい人生を過ごしていました。 ところで私の名は「和久」です。何人もの方から大正が短かったから、昭和の長からんことを願う名でしょうと言われ、天皇のための名ではありませんと強く否定したことがありました。「漢の二十四孝」に出てくる「永久( とこしえ)に和らぐ」から「和久」と名付けられました。これは本名ですから、渾名の説明もいたします。 父が勤めていた関東学院中高(三春台校地)に私も勤めた頃、先生達から「忠息( ちゅうそく) さん」と呼ばれ悲しい思いをしました。父が「忠一」の子だから「忠息」です。 |
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何でもいいから自分の名で呼ばれたいと思いました。そんなとき付けられたのが「烏」でした。最初は私が野崎君(ノッペさん)という生徒に付けた渾名でした。日本海軍に「森の烏、森見て止る」と言う言葉がありました。ご飯の盛り具合を見て席に着く者のことを言うのです。修養会のある日食事のときに野崎君は一番早く来ました。それで「君は森の烏だね」と言ったのが、私の方に返されたのでした。決して黒い服ばかり着ているからでも、生ごみをあさるからでもありません。為念。因みにノッペさんは現役で東大入学を果たした秀才です。私は喜んでこの名を生涯の名にしています。 そんな「烏を神様は養ってくださる」と主イエスは弟子達に話されました。「一羽の雀」という歌があってこれも主イエスのみ言葉からの物語ですが、神様は雀だけに目を留められるのではありません。「烏」にも目を留めてくださり養い用いて下さるのです。神様は預言者エリヤに飢饉のなか数年間一羽の烏を用いて毎日朝夕パンと肉を届けさせました。 |
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現代の烏は旧約聖書の時代の烏ほどの働きは出来ませんが、皆様の心にほんの少しでも糧をお届けできれば本当に幸せです。 ある教会のトラブルに巻き込まれて辞職したあと聖地パレスチナに傷心旅行をしたことがありました。ガリラヤ湖畔ティベリアスにある五つ星のホテルに宿泊したとき、ガリラヤの朝の景色を見ようと窓に近付くと、バルコニーに訪問客がありました。感激して「兄弟おはよう、有難う。」と言いながら早速カメラを取り出しポートレートを一枚。パレスチナの烏の写真が撮れました。 |
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おちぼ115号より | ||||||
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