2008年11月9日

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。ヨハネによる福音書1章1節

メッセージ

創世記1章1節の『初めに、神は天地を創造された』というみことばを想起させます。この「初めに」という言葉は、ギリシャ語の原語では「エン・アルケー」という語が使われています。一方創世記の「初めに」は原語のヘブライ語では「プレーシット」、70人訳(ヘブライ語旧約聖書のギリシャ語訳)では「エン・アルケー」と訳されています。創世記における「初めに」は、時間の始まり、歴史のスタートを意味しておりますが、ヨハネ福音書での「初めに」とは、時間を超越した創造主である神の存在に言及しております。「言(ことば)」はギリシャ語で「ロゴス」と言います。「言」とはイエス・キリストのことです。ヨハネは他にも「言」(1:14)、「命の言」(Tヨハネ1:1)、「神の言葉」(黙示録19:13)という表現でキリストを指し示しています。「ことば」であるキリストは神との交わりを持っておられました。そしてキリストご自身も神(三位一体の第二人格)でありました。この神ご自身が「人」となってこの世に来られた(受肉 1:14参照)のが主イエス様の初臨(クリスマス)です。このテキストはキリストの神性(神としての性質)、キリストの創造主性を教えております。私たちは神によって造られたもの(被造物)です。このことを自覚するところから信仰生活は始まっていくのです。1章4節には『言の内に命があった』とあります。聖書では「命」とは神の祝福を表します。「命」はヨハネ福音書のキーワードの1つですので、これから読み進めていかれる上で心に留めてください。私たちに真の命を与えてくださるキリストを信じ、キリストと共に在る時、私たちは(霊的な)死から(霊的な)命へと移されるのです。ハレルヤ!

東間 克美