2008年12月7日

彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。ルカによる福音書2章6,7節

メッセージ

 昨年の今頃「マリア」という映画が話題になりましたね。私も公開初日に観ました。身重のマリアがヨセフと共にベツレヘムへの長旅のシーンには、思わず涙をいたしました。このメッセージを書いている時に、ふとこの映画を思い起こしました。 「ベツレヘム」というのはダビデ王が生まれた町で、「パンの家」という意味です。「命のパン」でありますキリスト誕生に相応しい名とは思われませんか?『月が満ちて』とは、単なる臨月になったというより「神の時が満ちた」と解釈すべきでしょう。『宿屋には彼らの泊まる場所がなかった』……。
 ここに現在のクリスマスが象徴されているように思われます。街に出れば華やかなイルミネーションに飾られたツリーが目を引き、「クリスマス商戦」なるものが人々の購買意欲を増加させます。本来1月6日の公現日(エピファニー)まではクリスマス・シーズンなのですが、12月26日になると、あたかも何事もなかったかのように、クリスマスツリーは松飾りにとって代わります。つまり「キリスト不在のクリスマス」が日本に満ち溢れているのです。真に大切なお方をどこかに押しやって、「自己本位のクリスマス」を祝って(?)いるのです。「教会でもクリスマスをやるのですか?」という笑えないジョークもあるほどです。私たちの主、イエス様は貧しい家畜小屋の飼い葉おけでお生まれになりました。「王の王」「主の主」であられるお方は、本来宮殿の中で高らかなファンファーレと共に誕生されてもよかったはずです。このように貧しさの極みでお生まれになったお方は、私たちの(霊的な)貧しさをご存じであり、豊かな命を私たちに与えるために、そのご生涯を歩まれたのです。クリスマス……それは十字架への道の始まりでありました。讃美歌121番をじっくり味わいましょう。

東間 克美