また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。 【マタイによる福音書 18章19-20節】
水曜集会へ出席するようになり、1年が経過しました。仕事の都合等で数回参加できない日もありましたが、基本的には喜び楽しみつつ、毎週のように出席させてもらっております。常に10名弱程度の参加者が与えられています。わざわざ平日の夜にまで教会へ行く理由は一体どこにあるのでしょうか? 参加して間もない頃、ある兄弟が「僕はこの水曜集会に参加するたびに、この(上記の)聖句を思い浮かべているんだ」という旨を話されていた様子が今でも非常に印象的です。この御言葉こそ、水曜集会の様子を示すのに最も相応しいのではないかと考えます。水曜集会の魅力とは、まさに主が中心にいて導いて下さる真の交わりであって、なおかつ自分が捜真バプテスト教会という祈りの群れの一員である事実を、鮮烈に実感できる点にあるのではないでしょうか。
水曜日の夜7時から行われているこの集いは、週報やバス通り沿いの掲示板では「聖書研究・祈祷会」と紹介されています。文字通り、その週に示された聖書の御言葉に耳を傾け、出席者が心を一つにして祈りをささげる会です。個人的には、「水曜集会」という呼び方が一番しっくりと来るので、ここでは「水曜集会」とさせてもらっています。
会の流れとしては、「黙祷」「賛美」「主の祈り」「聖書朗読」「テキスト朗読」「分かち合い」「牧師による総括」「出席者一人一人による祈祷」というスタイルが一般的です。
この1年で学んできたテキストは、『祈りへの道』『主イエスの譬え話』『主イエスに出会った人々』の3冊で、いずれも神学者・加藤常昭先生による著書です。加藤先生の言葉は、一見平易なように見えますけれども、味わえば味わうほどに奥が深く、時に難解に感じることもあります。ですが、今でも加藤先生と共に学ばれている惠牧師がわかりやすく手ほどきをしてくれますので、毎週実に多くの発見に驚かされます。聖書を読む際の新しい視点が与えられ、しかもその御言葉およびテキストの文章に関する参加者の分かち合いを通して、とても豊かな学びの時となっていることに感謝です。
この1年を振り返ると、祈りに対する意識と姿勢が養われたかと感じています。言うまでもなく、キリスト者の生活は全てにおいて祈りに始まり祈りに終わるものです。「信仰の道とは祈りの道」(『祈りへの道』より)であり、信仰と祈祷は切り離せるものではありません。恥ずかしながら、それまでは口先だけの祈りに陥ってしまっていることも多々ありましたが、水曜集会を通して学んだ祈りは今の自分を支えていると言っても過言ではないでしょう。
神様の家族と共に心を合わせて御前にささげる祈祷は、何よりも大きな恵みであって、週半ばの欠かすことのできない癒しと慰めになっています。小さな群れではありますが、一人でも多くの方と一緒にこの喜びを味わいたいと願っております。また、諸般の事情で参加できなくとも、水曜集会の発展を覚えて祈っていただければ幸甚です。 |