往復書簡 高木裕介・中地昭


先生、こんにちは、こんな風に手紙書くなんて初めてですね

教会に行ったのは、中学2年の夏でした、そしてそこの分級の担当が先生でした、行きたくて行った教会じゃ無かったので、さぞかし扱いにくい子供だったのでしょう。最初の先生の印象は、怖かった、でも優しかった、ちゃんと話しを聞いてくれた、だから次第に僕も、ちゃんと話そうと思ったのを覚えています。

最初の分級の時間のとき、親の歳を聞かれて「知らない〜」と言ったら「あんた親の歳も知らないの!」いきなり叱られました、一度下駄はいて行った時「ここどこだと思ってるの! 」また叱られました。聖書の勉強と言うより、躾の時間だったような?

でもそんな僕が、今CSの教師をして同じように、[コラ〜]って言ってる、おかしいものですね、今の僕をあの頃の僕が見たら、さぞかし驚くことでしょう、でも、もっと驚くのは先生の方でしょうけどね。本当は3回行ったら止めるつもりの教会でした、3回行きなさいと言う、学校の宿題だったので、それ以上行くとは思ってませんでした。でもそれからずっと、叱られながらも通ってました、なんか楽しい場所になっていたし、嬉しかったのかもしれません。

今この手紙を書きながら、ごめんなさい、ごめんなさい。そして本当にありがとうと言う気持ちで、一杯になりました。よくもまあ,飽きもせずに、面倒を見てくれました、今思えば、本当に生意気だったと思います。先生、これからもお元気で、そしてたまに叱ってくださいね!たまにでいいですけど・・じゃあ、また書きます。

高木裕介

CS教師 高木裕介
教会学校の幼少科を受け持つ。楽器を巧みに操りながら子どもたちの心をつかむ。
裕介さん、お手紙大変嬉しく拝見しました。

思いがけない方からのお手紙、大変嬉しく拝見いたしました。当時のわたくしは、教会学校の奉仕で喜びに満ちていた頃でした。成長盛りの中学生であった裕介さんたちとの交わりは、今でも輝いた思い出の一つです。今は裕介さんが、教会学校の幼稚科担当の先生として奉仕されていることを拝見するとき、長い歳月を経て教会学校の業が継承されてきたことを実感します。

私の小さな業が神に育てられ、裕介さんを通して現わされていることを心から感謝しています。
お手紙から裕介さんが幼稚科の子どもたちに福音を伝える奉仕を心から喜んでおられることが良く分かりました。

このように教会の働き人に成長された裕介さんに接することは信仰の励みになります。裕介さんが恵みに満たされていることが伝わり嬉しいことです。90歳を越えた私は今、教会で具体的な奉仕が出来ない状態になっていますが裕介さんのことを覚えてお祈りすることができます。

最後はやっぱり小言をいいましょう。教会学校の先生は神の言葉を良く学び、生徒ばかりでなく、保護者の方々への宣教も忘れないでください。

裕介さん。お手紙をありがとうございました。そして、あなたと過ごした日々を振り返り、思い出を懐かしむと同時に、神が備えられたご計画に感謝しています。これからも良い働き人として、必要なものが備えられますよう祈っています。 

中地昭
元CS教師 中地昭
数々の悪ガキから恐れられた元祖熱血CS教師。かつての教え子からの手紙に教会の業を見る。
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