「東間家のクリスマス」教会で、また幼稚園で約半世紀を過ごしてこられた東間克美・千鶴子ご夫妻にクリスマスについて語っていただきました。 |
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− お二人が青年の頃からかかわった教会のクリスマスについて教えてください。 克美:昔のキャロリングは教会員の方の家を訪問する形でずいぶん遠くまで行きました。こひつじ会(中学生)、ともしび会(高校生)、レムナント(青年)時代、そしてCS教師として関わってきました。中高生当時は夜の10時に菊名駅に始まり、菊名、妙蓮寺、白楽の教会員のお宅をまわりました。 千鶴子: わたしが青年の頃は、六角橋、二本榎を初めとして横浜駅でも歌いました。キャロリングから帰ってきて、イブ礼拝の片づけをした後、当時の台所にみんなで集まって、調理台を部屋の外に出して徹夜で話したわ……。 |
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克美:みんなが学生だったけれど、僕と伊沢さんは、翌朝教会から会社に出勤したんだ。 千鶴子:キャロリングでまわる家々で出してくださるものが違ってね。神戸さんは甘酒で飯島さんはココアだった。あったかくなったわ。 克美:キャロリングは2時間が当たり前だったし、ご家庭に行くと普段教会に来ていないご家族にも会えました。キャロリングの間、アダルトというグループは竹内さんの家に集まっていました。僕らが行くと一緒に賛美して集会が終わります。今もオープンハウスは続いていますね。 |
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− 幼稚園も教会もページェントを大事にしていますね。 千鶴子:幼稚園のクリスマスはずっとページェントをしてきました。幼稚園を卒業して何年経ってもページェントの中で何の役をしたか覚えている人はたくさんいます。今はクリスマスに向けてアドベント礼拝を親子で守っているので、お母さんたちもクリスマスを迎える心の準備ができます。今だからページェントの衣装も調えられているけれど、私が園児の頃は、白のブラウスとお母さんのペチコートが天使の衣装だったの。各家庭から集められた風呂敷が羊飼いやヨセフの衣装で、それはそれで味わい深いものがあったわ。当時から幼稚園では子どもも親もキリストの誕生を祝う本当のクリスマスに触れていると思います。 |
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克美:教会のページェントは有名な大野一雄先生が指導してくれたときがあったのですが、イブ礼拝なのに教会に「大野先生の公演はそちらですか?」という問い合わせはあるし、大野先生のページェントが終わると帰ってしまう人もいました。エピソードの一つに天使の役になると結婚が早くなるというジンクスもあったりして。(笑)でも聖歌隊やページェントが中心の捜真教会のクリスマスイヴ礼拝は豊かだと思います。すべての人が用いられているので、礼拝に出席するというのでなく、みんなでクリスマス礼拝をつくりあげていくのが素晴らしいですね。 | ||
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− キャロリング以外でクリスマスの思い出は? 千鶴子:30年ぐらい前だけど捜真幼稚園に勤めたばかりの頃、午後は教会の事務をしていたことがあったのね。まだ始めたばかりなのに当時の天野牧師がクリスマス前に3ヶ月教会研修で渡米され、平日に生徒がバプテスマの相談しにきたりして、祈りつつ語り合ったことを懐かしく思い出します。 克美:当時は中高生が金曜日に掃除にきて、そのついでに千鶴子に相談していたみたいなんだね。 |
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千鶴子:その頃、内藤先生が以前アメリカから持ち帰られたミュージカルに、飯島先生が訳をつけてくださった「君の中に主が生まれた」という劇をみんなで挑戦しました。中高生や誰でも参加できることにして自然にクリスマスに行うことになったの。寺田さんや山田さん、天野さん、北村さんや小舘さんもいたと思うわ。 9月からクリスマスに向けて毎週準備して、本番を迎えたの。アメリカから帰ってきた天野牧師が、捜真教会でミュージカルを見ることができるとは、と感動されて、皆一緒に喜びあったわ。 克美:その年は10人を超える人がバプテスマを受けたんじゃないかな。ミュージカルに参加した中から志願者が与えられた。当時はCSや中高生会という枠を超えてみんな奉仕をしていたように思います。 |
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インタビュー:高橋昌博 2006.11 | ||
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