主日礼拝・七五三祝福式
11月20日(日) 午前10時30分より
説 教:「子どものようになる」
聖 書:マルコによる福音書10章13-16節
説教者:小野慈美牧師
主イエスは「子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福され」ました。「祝福」とは私たちの願望が何もかも叶うということなのでしょうか。
願望:人間の一方的な願い。こうであったら良いのにという思い。願望は、叶うこともあれば、叶わないこともあります。ですから、願いは必ず聞かれるというような教えはウソです。
わたしたちの祈りは、必ず神様に届きますが、願い通りになるかどうかはわかりません。願望が実現することが必ずしも祝福とは限らないし、逆に、願望が叶わなかったからといって神様がわたしたちにいじわるしておられると考える必要もありません。
希望:神様は御自分の御約束には真実なお方であるという信頼を持ち続けること。願望と希望をごっちゃにして、人間の願望が叶わないといって神様を疑ってしまうことが問題です。大切なのは願望が叶わなくても、神様がわたしたちを無視しておられるわけではないということを知って、神様を信頼し続けることです。幼子が親を信頼するように、神様に全幅の信頼を置くことです。
教会で祝福の祈りをしてもらったら、その子の人生には困難が全く起こらないということなのではありません。主の祈りの「試みにあわせず悪より救い出だしたまえ」とは、困難が一切起こらないようにという祈りではなく、困難にぶつかったとき、わたしたちを神様から引き離そうとする誘惑から守ってくださいという祈りです。
親にとって、神様の祝福を信じるとは、神様が我が子に良いことをしてくださることを信頼して希望を失わないことです。子供たちが成長していくプロセスにおいて、親の願いとは異なる状況が出てくるかもしれません。親が良かれと思って用意した道とは異なる道を子どもが選び取っていくかもしれません。そのときにこそ、子どものように神様に信頼し、祈ることが必要なのです。「神様、あなたがこの子を祝福してくださっていることを信じます。あなたがこの子に最も良いことをなさってください。たとえ親の願望とは違っていても、あなたが守り導いてください」と。
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前 奏 - フーガ emoll - J.S.バッハ
招 詞 詩編 第119編1-3節
賛 美 21-470
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第8編
賛 美 - ほめよ、主のみ名を - ジュニア聖歌隊
七五三祝福式
分かち合い
賛 美 21-389
聖 書 マルコによる福音書 第10章13-16節 (新共同訳新約 81頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「子どものようになる」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-484
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-88(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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