1月12日(日) 午前10時30分より
説 教:「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」
聖 書:ルカによる福音書9章21-27節
説教者:藤巻正悟師
主イエスは人となってこの世界に誕生されました。神の子・子なる神である主も、一人の人間として生まれた以上、死ぬことは避けられません。実に、主がこの世に来てくださったのは死ぬために他ならず、それもただの死ではなく、十字架における刑死を遂げるためでありました。
第一回受難予告はペトロの信仰告白の直後になされます。イエスをキリストとして、救い主として告白すること、これが私たちの信仰における最も重要な核心です。しかし、なぜ正しい信仰が告白されたそのすぐ後で、主はご自分の苦難について語られたのでしょうか。
それは、救い主という言葉から連想される一般的なイメージを打ち砕き、救い主の真実の姿を正しく理解させるためでした。敵対する人々に勝利するどころか、惨たらしく殺されて死んでいくキリスト。自分はそのようにしてこそ救いを成し遂げる。全ての人々にとって不可避である罪ゆえの死を自ら引き受けることによってのみ救いを成し遂げる。そのことをはっきりと伝えようとして、主はペトロの言葉の直後に、ご自分がこれから辿り行く歩みを予告されたのです。
主がゴルゴタの丘に向けて十字架を背負いつつ歩まれたように、私たちも自分の十字架を背負うことが求められています。十字架とは愛の結晶であり、信仰に根ざした労苦です。神と隣人を愛するがゆえに担うことになる重荷です。主は父なる神を愛し、また私たちを愛するがゆえに、死に至る十字架を担ってくださいました。だから、主イエスを救い主として受け入れた私たちも、神と隣人を愛するがゆえに、主の後ろ姿を見つめながら、日々自分の十字架を背負って歩んで行くのです。
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招 詞 詩編 第55編23節
賛 美 21−277
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第93編
賛 美 21−17
成人祝福式
分かち合い
賛 美 − シメオンの歌 − 聖 歌 隊
聖 書 ルカによる福音書 第9章21−27節 (新共同訳新約 122頁)
祈 祷
黙 想 − プレリュード − Rinck
説 教 「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を
背負って、わたしに従いなさい」
藤巻 正悟 師
祈 祷
賛 美 21−411
献 金
感謝祈祷
賛 美 21−24
祝 祷 小野 慈美 師
後 奏
成人祝福式で、3名の新成人が祝福にあずかりました。
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