主日礼拝
2月1日(日) 午前10時30分より
説 教:「『わたしはある』という神」
聖 書:出エジプト記3章7-16節
説教者:小野慈美牧師
モーセはヘブライ人の子として生まれながら、エジプト王家の一員となりました。しかし40歳のときに同胞を助けようとしてエジプト人を殺したため、追われる身となりミディアンに逃れます。(出エジプト1-2章)。その地で40年間羊を飼う者として過ごしました。ある日、燃えているのに燃え尽きない柴の木を見つけ、そこに近づくと、神がご自身を顕わしました。その神はこのようなお方でした。
①聖なる神。モーセは「履物を脱ぎなさい」(3:5)と命じられます。履物を履くことは、しもべではないという意味ですから(ルカ15:22)、ここでは神の前でモーセがしもべであることが示されています。聖書の神は「わたしはあるという(3:14)」神(存在の根源であり、人間をはるかに超越した遠い神)です。人間はその神に対し、神として畏れる態度と神は本来遠いお方なのだという認識を忘れてはなりません。神の近さだけ、親しさだけが強調されると、かえって神の恵みが安価なものになってしまいます。
②降(くだ)る神(3:8)。しかし、本来遠くにおられるお方が、何と、降ってきて人間に近付いてくださるのです。しかも固有の存在として名を呼んでくださいます(「モーセよ、モーセよ」(3:4))。ここに人間が、「父なる神よ、お父さん」と親しく呼びかけることが許されている根拠があります。
③約束の神。神はモーセに「わが民イスラエルをエジプトから連れ出せ」(3:10)との使命を与えられます。そこで、モーセは、自分が神から遣わされたことをイスラエルの民に信じてもらうためのしるしを神に求めます。それに対し、神は「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそわたしがあなたを遣わすしるしである」(3:12)とお答えになりました。この約束は一見頼りなく思われるかもしれません。モーセはもっとはっきりした具体的なしるしを期待したでありましょう。しかし、将来を保証するかに見えるこの世のいかなるしるしも永遠ではありません。むしろ、わたしたちの生涯の一歩一歩に、わたしはあるという神が必ず共におられるという約束こそ、実はもっとも頼りになるしるしなのです。この約束を信じて、わたしたちも未知の領域に日々、一歩を歩み出していきましょう。
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前 奏 - 主の招く声が - 蒔田尚昊
招 詞 箴言 第30章7-9節
賛 美 21-18
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第111編
賛 美 21-285
分かち合い
賛 美 - 主をたずね求めよ - 聖 歌 隊
聖 書 出エジプト記 第3章7-16節 (新共同訳旧約 97頁)
祈 祷
黙 想 - 善き力にわれかこまれ - 志村拓生
説 教 「『わたしはある』という神」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-521
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21-79
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21-25(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
【バプテストデー】
1873年(明治6年)2月7日、ネイサン・ブラウン、ジョナサン・ゴーブル宣教師夫妻がアメリカ北部バプテスト伝道協会から派遣されて横浜に到着、日本での宣教活動が本格的に幕を開けました。日本におけるバプテスト派の宣教開始を記念して、日本バプテスト同盟では2月の第1主日を「バプテストデー」と定めています。
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