主日礼拝
6月28日(日) 午前10時30分より
説 教:「健やかな心を求めて」
聖 書:マタイによる福音書6章25-34節
説教者:小野慈美牧師
「思い悩むな」(25節。口語訳では「思いわずらうな」)とは、一切心配するなという意味ではありません。しかし、思いが患う(病む)ことがないように気をつけねばなりません。
①自分でどうすることもできないことまで何とかしようとするときに思いが患う。
「命のことで」(25)思い煩うな。自分の健康に留意することは大切ですが自分の寿命を自分で決めることはできません。健康にこだわりすぎて、心が病んでしまうということがあります。また、将来起こるかどうかわからないことを先取りして悩むことも思い煩いの原因です。
②自分を実際以上に良く見せようとするときに思いが患う。
私たちは、人にどう見られるか(「何を着ようか」)という動機で動いていることが少なくありません。しかし、神はすでにわたしたちを良いものとしてくださっているのだから、自分を良く見せようと焦る必要はないのです。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(33)。「神の国」とは、神の御支配のこと。自分の心を神が支配してくださるよう祈りましょう。「神の義」とは、神が良しとされることです。何かをするときに、そのことが一見良いと思えることであっても、神の義を求めて祈ることをせずに、「自分をよく見せよう」という思いからいろいろと画策することは不信仰です。画策した結果、自分の思い通りになったとしても、それが本当に神の御心なのかどうか確信が持てず心は患うのです。
主イエスは決して「精神主義者」だったのではありません。むしろ、本当の意味で現実主義者です。見える世界だけがすべてだという考え方は現実的であるようでいて、実は幻なのです。見える領域は、現実の一部でしかないからです。「神の国」を求める者にとっては、見えない領域も含めて現実です。「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」(ヘブライ11:3)。見える世界も見えない世界も創造し支配しておられる神の前で生きることこそ最も現実的で「健やかな生き方」なのです。
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前 奏 - 感謝にみちて - G.F.カウフマン
招 詞 箴言 第16章1-3節
賛 美 21-51
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第52編
賛 美 21-361
分かち合い
賛 美 - 新しい天と地を見たとき - 聖 歌 隊
聖 書 マタイによる福音書 第6章25-34節 (新共同訳新約 10頁)
祈 祷
黙 想 - 愛するイエスよ - M.デュプレ
説 教 「健やかな心を求めて」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-504
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-394(1,3節)(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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