主日礼拝
4月24日(日) 午前10時30分より
説 教:「信仰に基づいて」
聖 書:コリントの信徒への手紙I 16章13-14節
説教者:小野慈美牧師
この箇所は、今年の年間聖句であり、1月3日の礼拝でも取り上げましたが、きょうは特に「信仰に基づいて」という言葉を取り上げます。この言葉は次の「しっかり立ちなさい」だけでなく、内容的には、続く「雄々しく強く生きなさい」「何事も愛をもって行いなさい」にもかかる言葉です。
その「信仰」の内容が1コリント15:3以下に書かれています。パウロは、初めは熱心なユダヤ教徒として、キリスト教徒を迫害しました。間違った教えを野放しにしておくわけにはいかないという正義感に燃えて、ダマスコにいるキリスト者をとらえにいきました。しかし、その途上で復活のキリストに出会うのです。そのとき彼は知りました。「気づかないうちに、自分が神になり代わって裁きをしようとしていた。自分の考えが神の考えだと思い込んでいた。そして自分と立場の違う者は神に敵対する者だと考えていた。自己を絶対化するという過ちに陥っていた」と。
「神の恵みによって」(1コリント15:10)彼は救われたのです。これが「信仰」の中心です。彼は後に思ったことでしょう。「あのまま突っ走らず、主にとどめていただいて良かった。もし、気づかせていただかなかったら、やがて自分が死んで神の前に立つとき、恐ろしいことになっていたであろう」と。
パウロは地上の主イエスに会っていません。そのパウロに主が現れてくださり、伝道者として召してくださいました。直弟子ではないが、恵みによって「使徒」として立てられたのです。だから、パウロは自分を「月足らずで生まれた者」(未熟児という意味です)、また「使徒と呼ばれる値打ちのない者」と呼んでいます。これは見せかけの自己卑下ではありません。謙遜と自己卑下とは違います。謙遜とは、いつでも神を前にして生きることです。神ではなく人の評価を求めるときに、人は高慢と自己卑下の間を行き来することになります。パウロは自らの弱さ小ささを知っていたからこそ、神に依り頼み、その結果、弱い時にも「強く生きる」ことを可能にされました。また、自分に無償で与えられた恵みを分かち合うために「何事も愛をもって行う」ことができたのです。
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前 奏 - イエスよ、わが喜び - J.S.バッハ
招 詞 詩編 第68編20-21節
賛 美 21-352
主の祈り (週報の最終頁をご参照ください)
交 読 文 交読詩編 第111編
賛 美 - しずかな喜び - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-321
聖 書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 第16章13-14節(新共同訳新約 323頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「信仰に基づいて」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-390
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-25
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
午後は教会定期総会がありました。
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