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礼拝Worship

  メッセージ > 先週までの礼拝 > 2016年6月5日

先週の礼拝

主日礼拝・聖餐式
6月5日(日) 午前10時30分より
説 教:「永遠の命を得るために」
聖 書:ヨハネによる福音書3章16-21節
説教者:小野慈美牧師

①「御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。」(3:18)
「裁く」と訳されているギリシャ語の「クリノー」の元の意味は「区別する」「分ける」です。神の愛はすべての人に与えられていますが、その愛を受け入れるか否かという態度の区別が生じます。御子を信じないということは、結果として「裁き」という形になるのです。ただし、「信じない者」とは、キリスト教の信仰を持たない人という意味ではありません。「信じる」という態度は、対象をはっきりと示されて初めて可能になります。つまり「信じる」とは自覚的な意思表示です。逆に、「信じない」とは、信じる対象をはっきりと示された後に、自覚的に拒否する態度です。ですから「信じない者」とは、直接主イエスに出会いその言動に接したにもかかわらず、意図的に拒否した人たち、つまり、ファリサイ人、律法学者などを指しています。信じる対象に出会わないでいる状態は、「信じない」のではなく「知らない」のです。従って18節は、御子をはっきりとは知らずにいる人については、何も語っていません。キリスト者が主イエスを信じる信仰を与えられたのは、功績によるのでもなく、良い人であるからでもありません。ただ一方的な神の恵みによります。そうであるならば、単に主イエスのことを知らないということだけで、神の恵みから締め出されるとは言えないだろうと思います。
②「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。「永遠の命」とは、死後の命ということではなく、生死を超えて神との交わりの中で生きることです。その交わりの中では、わたしたちの言葉や行いが「明るみに出され」(3:20)ます。しかし神様は懲らしめるためにそうなさるのではありません。人間には救いが必要であること、その救いはすでに提供されていること、イエス・キリストの十字架によって罪が赦されていることを示すためです。この救いを信じて生きることがすでに「永遠の命」の始まりです。生きている間に神様を知ることは幸いなことです。「あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ」(伝道の書12:1)。誰にとっても今日が一番「若い」のですから、今日がその日となります。

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前   奏   - 天にましますわれらの父よ - J.S.バッハ
招   詞   詩編 第68編35-36節
賛   美   21-151
主の祈り
交 読 文   交読詩編 第113編
賛   美   - み神の力は -             聖 歌 隊
分かち合い   
賛   美   21-363
聖   書   ヨハネによる福音書 第3章16-21節 (新共同訳新約 167頁)
祈   祷   
黙   想    
説   教   「永遠の命を得るために」         小野 慈美 牧師
祈   祷
賛   美   21-403
献   金 
感謝祈祷
聖 餐 式   賛 美  21-78(1,3節)
        聖書朗読と感謝祈祷
        配 餐
賛   美   21-28
祝   祷                        小野 慈美 牧師
後   奏

礼拝堂正面のイエス様Soshin Baptist Church捜真バプテスト教会

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