主日礼拝
6月12日(日) 午前10時30分より
説 教:「命の泉」
聖 書:ヨハネによる福音書4章7-26節
説教者:小野慈美牧師
主イエスとサマリアの女性の対話が記されています。二人はたまたま井戸で出会ったにすぎませんでしたが、話をしていく中で、最も大切な領域へと入っていきました。主イエスは「あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」(18)と女性の状況を言い当てます。この女性はおそらく不妊症であったと考えられます。この時代には、こどもが生まれないのは女性の側の責任と考えられ、離婚の正当な理由とされました。それ故、数年以内で離婚されるということが繰り返された可能性があります。しかし女性が一人で生きることは経済的、社会的に極めて困難でしたから、この時点では一人の男性のもとに身を寄せて、世間の目をはばかりながら生きていたのでありましょう。
主イエスがその状況を言い当てたことに驚いて、女は「主よ、あなたは預言者だとお見受けします」(4:19)、さらに「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています」(25)と言います。それに対し、主イエスは言われました。「それは、あなたと話をしているこのわたしである」(26)。このとき、この女性にとって決定的な出会いが起こりました。
「分け上る麓の道は多けれど、同じ高嶺の月を見るかな」という歌があります。山には、いくつもの登山道があるが、どの道を通っても同じ頂に到達する。つまり、宗教にもいろいろあるけれど、行きつく先は同じだという意味です。しかし、誰もそのことを確かめることはできません。
ただし、キリスト教の信仰の特徴は頂上におられるお方が麓の登山口まで降りてきてくださったと信じることです。主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」「わたしを見た者は、父を見たのだ」(ヨハネ14:6,9)と言われました。わたしたちは、他の道のことはわかりませんが、キリストの道では、登山口に「世の救い主」(42)が待っていてくださり頂上まで登らなくても出会うことができるのです。ちょうど、主イエスが、サマリアの女に声をかけてくださったように、今、ここに来て、声をかけてくださっています。「それは、あなたと話をしているこのわたしである」と。この言葉を信じ受け入れるとき、わたしたちにも決定的な出会いが起こり、心に命の泉がわきあふれるのです。
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前 奏 - 主イエスよ、われらに導きをたまえ - J.S.Bach
招 詞 詩編 第27編13-14節
賛 美 21-206
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第46編
賛 美 - 一羽のすずめ - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-363
聖 書 ヨハネによる福音書 第4章7-26節 (新共同訳新約 169頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「命の泉」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-404
献 金
感謝祈祷
子ども祝福式
賛 美 21-28
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
主日礼拝において、子ども祝福式が行われ、一人一人の子どもが祝福の祈りをされました。
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