主日礼拝
6月26日(日) 午前10時30分より
説 教:「主が共におられる」
聖 書:マルコによる福音書1章16-20節
説教者:篠遠順花神学生
わたしは、高校3年の冬のある日、祈りの中で主イエスが十字架の上で血潮を流してくださった救いの愛に包まれる体験をしました。ガラテヤの信徒への手紙2章19節から20節の「私はキリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のために身をささげられた神の子に対する信仰によるものです」という御言葉を、頭ではなく私の魂と心で実感しました。
1996年の春、初めて日本に来ることとなり、生まれ育った故郷から、寄留者の身となる体験はとても辛かったのですが、その辛い日々を通して、神は私に最も大切なことに気付かせてくれました。イスラエルの民が、故郷を離れ不安と緊張の日々が続く旅、その中に神は彼らと共におられました(申命記26章)。その同じ神が、今、わたしと共におられるだけでなく、日本在住の他の寄留者の方々と共におられることを、一緒に喜ぶ心を与えてくださいました。
私が安住できる場所、平安が与えられる場所、ほっと一息つくことのできる場所は、神以外のところにはないと気づかされました。神によって慰められ、励まされることで、弱い自分が、今も尚、旅を続けているのです。この旅を続けることが、神こそわたしの寄り頼むところ、わたしに計画された神の深い恵みへの感謝の心を表すことであるからです。様々な苦しみの中でも、神が前に前にへと、道を開いてくださいました。「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である」(箴言16:9口語訳)/In his heart a man plans his course, but the lord determines his steps.
去年、母は、召される直前に「神学校での学びを続けるように」と私に最後の言葉を残しました。その後2015年9月13日の主日礼拝で「わたしについて来なさい」(マルコ1:17)と主イエスは招いてくださいました。その主イエスの言葉に従い、わたしの前に立って進んでおられる主イエスについて行きたいと思います。イエス・キリストの赦しがある限り、神によって呼び集められた一人一人と共に、喜びと感謝の心で神を礼拝し、神によって起こされる御業に参与できる者になりたいと思います。
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前 奏 - いと高きところには神にのみ栄光あれ - G.ベーム
招 詞 エレミヤ書 第1章6-9節
賛 美 21-363
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第61編
賛 美 - み神の力は - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-6
聖 書 マルコによる福音書 第1章16-20節 (新共同訳新約 61頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「主が共におられる」 篠遠 順花 神学生
祈 祷
賛 美 21-522
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-28
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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