主日礼拝・聖餐式
11月6日(日) 午前10時30分より
説 教:「我らの罪を赦したまえ」
聖 書:マタイによる福音書18章21-35節
説教者:小野慈美牧師
「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」というペテロの問いに対する主イエスの答えは「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」(22)でした。
そして、その意味を伝えるために、三幕からなる天の国についてのたとえを話されました。
①ひとりの家来が、王様から10000タラントンの借金を帳消しにしてもらった。
②その家来が、他の仲間に貸してあった100デナリオンを相手が返せなかったので、牢屋に入れた。
③その話を聞いた王は、先程、赦してやった家来をもう一度呼んで、その家来を牢屋に入れた。
<第二幕>1デナリオンとは当時の日当だから、100デナリオンは決して小さな金額ではない。第二幕だけを見れば、家来のやり方は「不届き」(32)とはいえないかもしれない。
<第一幕>しかし、私たちには、目には見えないがもうひとつの世界がある。それが第一幕。1タラントンは6000デナリオンだから、10000タラントンとはとてつもない額。つまり、人間は、神に対して、とてもお返しできないような借金をしている。しかし、神は憐れんで赦してくださった。この見えない神の国を知っているならば、第二幕の家来のやり方はどうなのだろう。なぜなら、その見えない世界では、大きな借金(罪)を赦されたのだから。
<第三幕>「わたしの心をどうしてわかってくれないのだ」という神の人間に対する悲しみが怒りとして表されている。仲間の100デナリオンを赦さないことは、主人から受けた10000タラントンの赦しを忘れ、もう一度神の裁きに対する恐れを自分から呼び戻すことになる。仲間に対して憐れみの心を閉ざすことは、結果として、神も自分に厳しい裁きをなさるという恐れを生み出すからです。
この世界しか見なければ、100デナリオンのことを裁くこともできるだろう。しかし、わたしたちには、もうひとつの世界がある。その世界では10000タラントン赦されているではないか。その見えない神の国の世界を知っているなら100デナリのことを違った仕方で取り扱うことができるのではないか。「われらに罪を犯す者を我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ」と祈る者として。
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前 奏 - 主よ 憐れみたまえ - バッハ
招 詞 ローマの信徒への手紙 第8章26節
賛 美 21-58
主の祈り (週報の最終頁をご参照ください)
交 読 文 交読詩編 第51編1-19節
賛 美 - み神をたたえよ - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-389
聖 書 マタイによる福音書 第18章21-35節 (新共同訳新約 35頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「我らの罪を赦したまえ」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-445
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21-80
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21-88(アーメン)
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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