主日礼拝(受難節第4主日)
3月26日(日) 午前10時30分より
説 教:「権威ある言葉」
聖 書:ルカによる福音書5章12-26節
説教者:小野慈美牧師
(1)重い皮膚病の人と中風の人の二つの癒しの出来事の共通点
①大胆に主イエスに近づいている
重い皮膚病にかかった者は、宗教的に汚れていると考えられており、その病人に触れた人も汚れると考えられましたので、病人は人目を避けて生活していたようです。しかし、やむをえず道を歩くときには、「私は汚れた者です。汚れた者です」(レビ記13:45)と叫ばねばなりませんでした。ですから、この人が自分から主イエスに近付いて願い事をしたのは、非常識なことでした。中風の人が運ばれてきた家は、シンプルな作りの平屋根であり、外階段がついていて、その階段から簡単に屋根にのぼることができました。友人たちは、屋上に行き、いきなり屋根をはがして病人をつりおろしました。
②病の癒しに先立って罪の赦しが宣言されている
当時は、病気は罪のせいだと考えられていました。ですから「清くなれ」(13)と「あなたの罪は赦された」(20)は同じことです。それを受け入れられない人々に、主イエスは「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか」(23)と尋ねられました。言うだけなら、「あなたの罪は赦された」と言うほうが簡単です。罪の赦しは、本来、神にしかできないことです。そこで、ご自分が罪を赦す権威を持っていることを示すために、中風の人を立ち上がらせたのです。
(2)主イエスの愛とわたしたちの応答
「御心ならば」(12)と「よろしい」(13)は、原語では「欲する、望む」という意味の同じ単語が用いられています。直訳すると「あなたが望むなら、わたしを清くすることができます」、「わたしは望む。清くなれ」となります。主イエスは、病気だけでなく、病人たちの心の痛みを癒すことを欲したもうたのです。「イエスが手を差し伸べてその人に触れ」(13)たことは御自身も汚れることを意味しました。しかし、その人に触れてまで痛みを分かち合おうとなさった。神の愛は、汚れた者とされ、虐げられている人々にこそ注がれているのだということが、主イエスのもたらした救いであるからです。
キリスト教の信仰は、主イエスの「あなたの罪は赦された」という権威ある言葉を素直に信じることです。罪の赦しを信じて、立ち上がり、神を賛美して生きること、これがわたしたちの在り方です。
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前 奏 - われ心よりこがれ望む - J.S.バッハ
招 詞 エゼキエル書 第36章26-27節
賛 美 21-151 主をほめたたえよ
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第145編1-13節
賛 美 - 慈しみがありますように - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-314(1,4,5節) 神の国の命の木よ
聖 書 ルカによる福音書 第5章12-26節 (新共同訳新約 110頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「権威ある言葉」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-451 くすしきみ恵
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-88(アーメン) 心に愛を
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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