主日礼拝(講壇交換)
6月25日(日) 午前10時30分より
説 教:「借りぐらし」
聖 書:ルカによる福音書13章8-10節
説教者:髙橋彰牧師(関東学院教会)
「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。」(ローマ13:8)
「借りがない」とは、当時の社会では「何の束縛も受けていない自由さ」を表し、人生を謳歌する理想の生き方と尊ばれたようです。使徒パウロもローマの教会の人びとに、キリスト者として神に誠実に、そしてよい市民として社会的責任を果たして、他者に善いことをして生活するように勧めます。しかし、世のあらゆる事についての「借り」から自由であれとパウロがここで強調する理由はその自由さをもって主に仕えるためであるという特別な意味がこめられています。
「借りぐらしのアリエッティ」というアニメ映画があります。小人たちは自分のものを所有せず、人間の社会でひっそりと、なんでも借りものを工夫して使って生活しています。人間が自分の生活をモノや形のない安全や地位や権利などの「所有」によって確保しようとしている現実を省みさせられます。本来出会ってはならない小人の少女アリエッティと少年が出会ってしまったため、小人たちは別の場所へ移ってゆかねばならなくなります。少年とアリエッティは別れゆく前にささやかなものを交換します。モノの背後にある意思や思い、心の交換です。そして少年は自分の命に対するあきらめから、自覚と希望をもって生きる勇気を与えられます。
優しさ、励まし、いたわり、親しみ、共感など、人はかたちのないモノをも交換し合い、影響を受けて生きていきます。聖書で言う「愛」は、心の中の思いや状態、概念や思想でなく、人が思いに突き動かされて言葉や行為のやりとりをすることです。パウロはⅠコリント13章で愛をたくさんの動詞で説明します。キリスト者にとって「愛」とはイエス・キリストがこの世でわたしたちに教えや行いで多くを与え、生きて死なれた、その具体的な出来事に結びついています。「愛」を返しきれない「借り」として受け取り、また与え、分かち合う。キリスト者は「愛の借りぐらし」よしとして生きるのです。
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前 奏 - いと高きところには神に栄光 - G.ベーム
招 詞 マルコによる福音書 第12章29-31節
賛 美 21-344 聖霊の神、きよき愛よ
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第97編
賛 美 - 静けき河の岸辺に - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-430 とびらの外に
聖 書 ローマの信徒への手紙 第13章8-10節 (新共同訳新約 293頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「借りぐらし」 髙橋 彰 牧師
祈 祷
賛 美 21-486 飢えている人と
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-346(アーメン) 来たれ聖霊よ
祝 祷 髙橋 彰 牧師
後 奏
本日は関東部会講壇交換です。当教会には関東学院教会より、髙橋彰牧師が来てくださいました。
髙橋彰牧師:関東学院教会牧師、日本バプテスト神学校学務主事、関東学院六浦中高講師。
〒221-0804
神奈川県横浜市神奈川区栗田谷42-43
TEL 045-323-2967
FAX 045-323-3979