主日礼拝(宗教改革記念)
10月29日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「『のみ』の信仰」
聖 書:エフェソの信徒への手紙2章8-10節
説教者:小野慈美牧師
「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。自らの力によるのではなく、神の賜物です」(エフェソ2:8)。人が神に受け入れられるのは、「行いによるのではありません」(9)。
一方的な神の恵みによって「のみ」罪赦されるというのが、ルターの唱えた「信仰義認」の教えです。
それは決して、わたしたちが何をしてもかまわないという意味ではなく、神の愛を人間の行いによって勝ち取ろうとすることはできないということです。だから、一般的に「良い人」、「善人」と評価される人が救われるのではありません。なぜなら、人は神の前では、例外なく罪びとであるからです。それにもかかわらず、神に赦され、受け入れられるのが可能だとすれば、それは人間の行いという条件によるのではなく、神の無条件の愛(恵み)によってでしかないのです。
人間は神の愛を獲得する条件という意味では、無に等しいのです。しかし、それは、わたしたちが無価値だというのではありません。むしろ、神にとっては、どの人も価値ある存在であるから、神は一人も失いたくないのです。だから、条件をクリアーしたら愛してやるとはおっしゃらない。「良い子」だから、「優等生」だからではなく、あなたの代わりは誰もいない。失ってよい者などいないから、神は独り子なるイエス・キリストをこの世にお与えくださり、救いの道を開いてくださったのです。
したがって「自分は大丈夫だが、あの人は不合格だ」と他人を裁くのも間違っているし、「わたしは基準に達していない」と自分を失格扱いするのも間違っています。人は神の一方的な「恵みによってのみ」罪赦され、そのことを素直に信じる「信仰によってのみ」救われる(神との正しい関係に入れられる)のです。自分が持っている何かではなく、神が与えてくださる賜物への信頼こそが、信仰の本質です。
続く10節では、「良い業」に生きることが勧められています。結局、行いによって救われるのでしょうか。そうではありません。人は無条件の愛によって赦され、受け入れられていることを深く味わうと、安心して生きることができ、その結果、自分を愛してくださったお方のために生きたいと願うようになるのです。そして、最高の良い業とは、自分を愛するようにあなたの隣人を愛するということです。
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あしからずご了承ください。
前 奏 - 父と子と聖霊の - O.ツェールフェルト
招 詞 エゼキエル書 第36章26-27節
賛 美 21-55 人となりたる神のことば
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第46編
賛 美 - 私はこの水に洗われて - ジュニア聖歌隊
分かち合い
信仰告白
賛 美 21-377 神はわが砦
聖 書 エフェソの信徒への手紙 第2章8節-10節 (新共同訳新約 353頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「『のみ』の信仰」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-451 くすしきみ恵み
献 金
感謝祈祷
バプテスマ式
賛 美 21-67 貴きイェスよ
賛 美 21-50(アーメン) みことばもて主よ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
<宗教改革記念日>
1517年10月31日、ドイツのマルティン・ルターはヴィッテンベルク市の教会の扉に「95カ条の論題」を貼り出しました。これが宗教改革の始まりとされています。多くのプロテスタント教会では、10月31日の直前の日曜日に宗教改革記念礼拝が行われます。
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