主日礼拝・聖餐式
1月7日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「神は愛である」
聖 書:ヨハネの手紙Ⅰ 4章16b節-21節
説教者:小野慈美牧師
「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」
1)神は愛です
①神が人格的なお方であることを意味します。愛には対象が必要です。神は愛する対象として被造物、特に人間をお創りになりました。「神は愛です」とは、神があなたを愛しておられるということです。
②「神は愛」という語順が大切です。つまり「愛が神」ではないということです。愛の名を借りた、自己満足、自己顕示欲、称賛欲求もあります。善意でさえあれば良いという態度は、自分の愛を絶対化する傲慢に陥ることになります。イエス・キリストを通して示された愛こそが神の愛の内容です(4:10)。
2)愛にとどまる
①愛にとどまる者は、イエスが神の子であると言い表す。
「イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります」(4:15)。また「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(Ⅰコリント12:3)とあるように、2000年前の人物を、私たちたちの救い主であり、今も生きているお方として公に告白することは、わたしたちの内にとどまる聖霊の導きによります。
②愛にとどまる者には、恐れがない。
「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。」子どもが過失を犯した場合に、親が弁償をします。愛する我が子だからです。親は、子の過ちを厳しくしかるでしょうが、子は、親が自分を見捨てるのではないかという恐れをいだくことはありません。なぜなら、親の愛を信頼するからです。同様に、神も人間を愛するゆえに「わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしにな(10)」ったのです。そのことを信ずるときに、人は恐れから解放されます。
③愛にとどまる者は、兄弟を愛する。「神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです」(21)。
愛するとは、「敬意を払う」「大事にする」ことです。愛は、好き嫌いのことがらではなく、相手も神に創られた尊い存在であり神の愛の対象とされていることをまず認識することから始まります。
画面内のフルスクリーンをクリックすると全画面になります。escキーで元に戻ります↑
Tweet
前 奏 - 私たちはキリストをほめたたえます - J.S.Bach
招 詞 エレミヤ書 29章11節
賛 美 21-7 ほめたたえよ、力強き主を
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第150編
賛 美 - 全地よ、主に歌えよ - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-145 全地よ、主に歌えよ
聖 書 ヨハネの手紙Ⅰ 第4章16b-21節 (新共同訳新約 446頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「神は愛である」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-483 わが主イェスよ、ひたすら
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21-81(1,3節) 主の食卓を囲み
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21-452(アーメン) 神は私を救い出された
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
礼拝後、全員で写真を撮りました。
〒221-0804
神奈川県横浜市神奈川区栗田谷42-43
TEL 045-323-2967
FAX 045-323-3979