主日礼拝
1月21日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「いったい何者だ」
聖 書:ルカによる福音書 9章1節-9節
説教者:小野慈美牧師
ヘロデはバプテスマのヨハネを処刑しました。バプテスマのヨハネを恐れていたヘロデは、イエスがバプテスマのヨハネの生き返りではないかと恐れました。そして、イエスを恐れるがゆえに、おそらく弟子たちをも恐れました。「いったいイエスとは何者なのだ。その弟子にまで力を授けるイエスとは何者なのだ」と。事実、イエスは弟子たちに「力と権能をお授けに」(9:1)なりました。
<弟子たちがしたこと>
1)福音を宣べ伝えた:「神があなたを愛しておられる」ことを宣べ伝えました。神を離れて生きていた人間が、まことの神に出会って、神と共に生きるようになる。自分を主人公として生きる生き方をやめて、自分をお創りになった神を主人公として生きる生き方を始めるようにと勧めました。
2)病気を癒した:福音を宣べ伝えることの中で、癒しも起こったのでしょう。神との喜ばしい交わりに生き始めるようになると癒しも起こる。癒しが起こらなくとも、心の解放が与えられました。
<私たちへのメッセージ>
1)キリスト者は弟子たちと同じ「力と権能」を与えられていることを知りましょう。与えてくださった方のお心に従って用いるならば、力と権能を大いに用いるべきです。
2)ただし、高慢になって、自分自身が力を持っており人のために何かできる人間だと思ったとたん、力と権能を失います。神の前でわたしたちが為すべきことは、自分の弱さや欠けを率直に認め神の憐れみと支えを祈ることです。祈らないということは、自分で何とかできると思っていることです。逆説的ですが、自分の弱さを認め神に祈るとき、神はわたしたちを最もよく用いてくださいます。
3)そのことを知って、力と権能を用いましょう。自分に与えられているものを過小評価してはなりません。「自分のように、信仰が弱く罪深い者が人様に祝福など与えられない。自分にはそんな力などない」としり込みするのではなく、力を与えてくださるお方を信頼しましょう。すぐにでもできるのはとりなしの祈りです。或る方のために祈ることができるのは、世界中であなただけかもしれません。愛する者のために、さらに、自分と難しい関係の人のために、神様の最善を祈り求めましょう。
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前 奏 - 愛するイエスよ - J.Sバッハ
招 詞 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 第5章23節
賛 美 21-405 すべての人に
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第100編
賛 美 - 小さなすべてを大切に - ジュニア聖歌隊
分かち合い
賛 美 21-145 全地よ、主に歌えよ
聖 書 ルカによる福音書 第9章1-9節 (新共同訳新約121頁
祈 祷
黙 想
説 教 「いったい何者だ」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-566 むくいを望まで
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-452(アーメン) 神は私を救い出された
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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