主日礼拝(受難節第3主日)・聖餐式
3月4日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「キリストの追っかけ」
聖 書:ルカによる福音書 第9章57-62節
説教者:小野慈美牧師
好きなタレントなどを追いかける熱狂的なファンのことを「追っかけ」と言います。彼らは、スターに会うためには時間もお金も惜しみません。他の人からは愚かと見えることでも自分にとっては価値あることだからです。誤解を恐れずにいえば、キリスト者とは「キリストの追っかけ」となることです。つまり、自分の生活の中心、価値の中心にイエス・キリストを置く者となるということです。
きょうの箇所には、主イエスの弟子として生きる姿が示されています。
①57-58節 この世のものに依り頼むな。:「人の子には枕するところもない」(58)とは主イエスが野宿していたということではありません。主イエスは、この世のいかなるものにも根拠を置かず束縛されませんでした。私たちが地上の何かに人生の根拠を置くことはそれに縛られることを意味します。私たちの「国籍を天に置く」ことは、この世で一生懸命生きながらも、この世のものに依り頼まないことです。それは同時に、この世に属するもの、富や権力や地位から自由であるということです。
②59-60節 優先順位を間違えるな。:「父の葬り」(59)は、人間として大切にしなければならない義務の象徴です。主イエスは家族への義務を否定しているのではありません。しかし、ときにはもっと大切なことがあります。今このとき、あなたにしかできない神からの使命があるならば、それを後回しにしてはならないということです。「人生で最も難しい選択は善と悪との間ではなく、善と最善との間でなすべき選択である」(榊原康夫)
③61-62節 決断しなさい。二股かけるな。:主イエスの弟子になることは、後ろを振り向かずに、信頼して身をゆだねることです。ある神学者が言っています。「信仰とは、船が存在することを信じることではなく、その船に乗り込んで自分の身をゆだねることです。」「追っかけ」は、いやいやではなく、そこに最高の価値と喜びがあるから、他をさしおいてでもついていくのです。そして、キリストの追っかけと、スターの追っかけとの決定的な違いは、私たちが追っかけていこうと決断する前に、キリストが既に私たちを追っかけてくださり私たちのために命を与えてくださったということ。またスターは私たちを知らなくても、キリストは私たち一人一人を知っておられるということです。
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前 奏 - 最愛のイエスよ - J.ブラームス
招 詞 イザヤ書 43章1-2節
賛 美 21-59(1,3,5節) この地を作られた
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第130編
賛 美 - 愛するイェス - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-313 愛するイェス
聖 書 ルカによる福音書 第9章57-62節(新共同訳新約 124頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「キリストの追っかけ」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-520 真実に清く生きたい
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21-80 (1,2,4節)今 与えられる
聖書朗読と感謝祈祷 永田明子執事
配 餐
賛 美 21-167(1節,頌栄)(アーメン) 天にいます神よ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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