主日礼拝(受難節第4主日)
3月11日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「平和の使者として」
聖 書:ルカによる福音書 第10章1-16節
説教者:小野慈美牧師
神は見えないので、人はいろいろな神を作り出します。キリスト教の神も目には見えませんが、他の宗教と決定的に違うことがあります。それは、イエス・キリストという存在です。この方は実在の普通の人間でした。しかし十字架と復活によって、人でありながら神であることが示されました。
キリスト教の信仰とは、漠然と「神が存在することを信じる」ことではなく、イエスが「人となった神」であり、そのお方の十字架と復活が私たちの生きる根拠であると信じることです。それを信じるのは、やはり信仰ですが「いわしの頭も信心から」という類の信仰とは違い、対象がはっきりしているのです。ただし2000年前の人物を「人となった神」「救い主」であると信じることは大きな飛躍です。ですから、このメッセージを伝えても受け容れる人と受け容れない人とが出てくることは避けえません。
主イエスが72人の弟子たちを派遣した時もそうでした。弟子たちが「神の国はあなたがたに近づいた」(9)という言葉を語ると、歓迎と拒絶の二種類の反応が起きました。12節のことばは「信じないと滅びるぞ」という脅しのようにも聞こえますが、恵み深い主イエスのおことばです。単なるおどしであるはずがない。コラジン、ベトサイダ、カファルナウム(13,15)はイエス様が活動していたガリラヤ地方の町。イエス様の言動を直接見聞きしていたのに、人々は受け入れようとしませんでした。ティルスやシドンは異邦人の町です。主イエスを知りながら拒絶するのは、異邦人たちのように始めから知らないよりも更に残念なことだ。しかし、それでも「神の国が近付いた。神があなたと共におられる」ということを忘れないでほしい。そのような主の思いが裁きの言葉で表現されていると思うのです。
私たちがキリスト教の信仰を持つことは決して当り前ではなく不思議なことです。しかし、いろいろな出会いによって「神はあなたを愛しあなたと共におられる」というメッセージを聞き信じるにいたりました。神様があなたをあきらめなかったからです。そうであるとするならば、あなたの身近な方々が、たとえ今はよくわからずにおられるとしても、神様がその方たちをあきらめずに招いておられることは変わりません。周りの人々を神様のまなざしで見てください。その人の態度がどうであれ、その人の中にかつての自分を見るのです。そのとき、あなたは神様の平和の使者となることができるのです。
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前 奏 - 栄の主イェスの - C.シャルク
招 詞 イザヤ書 第43章3-5節
賛 美 21-299 うつりゆく世にも
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第131編
賛 美 - キリスト、十字架に架かられた- 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-313 愛するイェス
聖 書 ルカによる福音書 第10章1-16節 (新共同訳新約125頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「平和の使者として」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-519 イザヤを招く神の声は
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-167(1節,頌栄)(アーメン) 天にいます神よ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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