主日礼拝(イースター) ・バプテスマ式・聖餐式
4月1日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「そして、わたしにも」
聖 書:コリントの信徒への手紙Ⅰ第15章3-10節
説教者:小野慈美牧師
今日、主イエスの復活を信じるとは、主イエスの愛に出会うことです。三人の例を取り上げましょう。
(1)「ケファ(ペテロ)に現れ」(5)。十字架につく前の晩、イエス様がペテロの裏切りを予言した時、彼は「他の弟子たちが裏切ってもわたしは裏切りません」と断言しました。しかし、その数時間後イエス様が逮捕されたときは、逃げてしまいました。その後、イエス様の裁判の様子を見ていた時、三度も「あんな人は知らない」と否定しました。「もはや弟子と呼ばれる価値はない」という思いのペテロに復活の主が現れ、改めて弟子として召されたのです。
(2)「ヤコブ(主イエスの弟)に現れ」(7)。主イエスの弟のヤコブも、兄イエスを拒否していました。「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである」(マルコ3:21)。しかし、そのヤコブにも復活の主が現れ、母マリアと共に初代教会の群れに加わり、やがてエルサレム教会の中心人物になりました。
(3)「わたし(パウロ)にも現れ」(8)。「そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」(8,9)。パウロは、キリスト教は邪教だと信じ、キリスト教徒を迫害し、殺すことにさえ加担しました。そのパウロに復活の主が現れてくださいました。パウロは地上を生きておられた主イエスとは出会っていませんが、主イエスの一方的な赦しと派遣の声を聞いたのです。
(4)「そして、あなたにも」。パウロに語られた言葉は、今、あなたにも向けられています。あなたのために、主はこの世に来られ、十字架で赦しの業をなしとげてくださり、その赦しの愛を、あなたのうちに実現させようとしておられます。復活を信じるとは、あり得ない愛がこのわたしに注がれていることを信じることです。主イエスは、弟子と呼ばれる資格のない者、キリスト者と呼ばれる価値のない者。愛されるにふさわしくない者をも決して愛することをおやめにならないのです。しかもあなたにしかできないことがあると言ってくださる。その声に従うならば、あなたは主の恵みによって生かされる新しい命、復活の命に生き始めるのです。
配信は「信仰告白後の賛美から献金感謝祈祷まで」となっております。
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前 奏 - ハレルヤ 喜びたたえよ - バッハ
招 詞 使徒言行録 2章32-33節
賛 美 21-325 キリスト・イェスは
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第67編
賛 美 - 喜び祝え、わが心よ - 聖 歌 隊
分かち合い
信仰告白
賛 美 21-323 喜び祝え 、わが心よ
聖 書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 第15章3-10節(新共同訳新約 320頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「そして、わたしにも」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 (54年版)496 うるわしの白百合
献 金
感謝祈祷
バプテスマ式
聖 餐 式 賛 美 21-81(1,2節) 主の食卓を囲み
「捜真バプテスト教会信仰告白」
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21-327(1,3節)(アーメン) すべての民よ、よろこべ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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