主日礼拝・聖餐式
6月3日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「見えるようになるために」
聖 書:ルカによる福音書11章27-36節
説教者:小野慈美牧師
人々が奇跡というしるしを求めたのに対し、主イエスは「ヨナのしるしの他には、しるしは与えられない」(29)と言われました。並行箇所のマタイ12:40にはこう書いてあります。「つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。」これは、これから起こる十字架と復活を暗示しています。ヨナが、神が遣わされたしるしとなったように、「人の子」つまり、主イエスの存在とわざがしるしだと言うのです(30)。
「南の国の女王」や「ニネベの人々」のような異邦人達でさえ、ソロモンやヨナのことばを聞いてまことの神を崇めた。ここにいる私は、ソロモンやヨナにまさるものだ(31,32)。神はイエスという光を示してくださったのですが、「目が澄んで」いないので、その方がだれであるかわからないのです。
「目が澄んでいる」(34)とは「目が単純である」あるいは「目が一点に集中する」、つまり、心の目が神に集中していることです。「光」とは、神の言葉であり、神の言葉そのものである主イエスのこと。その光に集中しているならば、ものごとの本質が良く見えるようになり、全身が明るくなるのです。
人々の目を濁らせているのは、しるしを求める心です。私たちも「神様、あなたが生きておられるなら、その「しるし」(証拠)をみせてください」と求めていることはないでしょうか。しかし、主イエスの十字架と復活こそが最大のしるしなのです。それは、たとえ何が起ころうとも、神がわたしたちを愛しておられ今もそして永遠に共にいてくださるということのしるしです。
澄んだ目を持つためにはどうしたら良いのか。「幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」(11:28)。「守る」とは、歯を食いしばって必死に従うというイメージではありません。「いかに幸いなことか主を畏れる人、主の戒めを深く愛する人は」(詩112:1)とあるように、信頼に足るお方の言葉だから喜んで聞くのです。神の言葉を聞くことが喜びとなり、苦しみの時にも聞き従うことを愛するのです。
明るさとは、単なる楽天主義ではありません。あらゆる事柄に神が関わってくださることを信じるゆえに、暗くて重くて辛いとしか思えない状況にも神の御支配があることを信じることが明るさの秘訣です。よく見えるようになるために、神様のことばに集中し、信頼して神を仰ぎましょう。
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前 奏 - わが魂は主をあがめ - H.シャイデマン
招 詞 イザヤ書 43章1節
賛 美 21-55 人となりたる神のことば
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第122編
賛 美 - 天の神、祈ります - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-354 天の神、祈ります
聖 書 ルカによる福音書 第11章27-36節 (新共同訳新約 129頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「見えるようになるために」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-521 とらえたまえ、われらを
献 金
感謝祈祷
聖 餐 式 賛 美 21-78(1,2節)わが主よ、ここに集い
聖書朗読と感謝祈祷
配 餐
賛 美 21-536(1,3節)(アーメン)み恵を受けた今は
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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