主日礼拝
6月10日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「不幸にならないために」
聖 書:ルカによる福音書11章37-54節
説教者:小野慈美牧師
主イエスがファリサイ派の人に食事に招かれたとき、主イエスが清めをせずに食事の席についたのでその人は不審に思いました。それに対し主イエスは、「あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ」(42)と厳しい言葉で非難しました。それは、彼らを否定するためではなく、「あなたがたは不幸の空気を周囲に振りまいている。それに気づいてあなたたちにも幸福になってほしい」という愛の言葉です。
「ファリサイ派」とは、ユダヤ教の一派で、宗教的規定を厳格に守る人たちでした。からだや器をきれいにすることによって、神に対しても清いと考えました。また彼らは「会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好」(43)みました。この世界で序列がつけられることを否定する必要はありません。自分は高級な人間だと思い上がり、偉い人として扱われることを「好む」ことが問題なのです。「律法の専門家」とは聖書学者です。聖書からさまざまな細かい規定を作り出し、その規定を守ることが神に喜ばれることだと教えておきながら、その教えを生きる力を人々に与えてはいないのです。
彼らは、自分たちは清く正しく生きているから神に近く、他の人を裁く権利があると思っていました。主イエスは、そのような態度は、神様の慈しみから人々を遠ざけてしまうと非難したのです。
①不幸にならないためには、人を裁かないこと。 ただし、裁かないとは、事の良し悪しについて何も言わずに、なあなあでやっていくことではありません。裁くとは、自分が優位に立って、自分だけが正しい、自分のほうが上だという思いで相手を見下げる態度です。いつも自分が正しく、裁く資格があると思っているので、周囲に冷気を振りまき、自分自身の心から喜びを奪っていくのです。
②不幸にならないためには、神の恵みと赦しによって生かされること。 教会とは愛にあふれた人の集まりではなく、自分に愛のないことを知り、それ故ただ恵みによって生きることを知っている人の集まりです。自分は罪人であり、自分の正しさが、必ずしも神の正しさとは限らないことを謙虚に認めることによって、人を裁くことから守られ、そのような人たちの作る共同体は周囲をほっとさせる暖かい空気を作り出していくことができます。この箇所は当時のファリサイ人、律法学者に対してだけでなく、裁くことに傾きやすい愚かなわたしたちへの愛の警告でもあります。
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前 奏 - 天にまします われらの父よ - J.S.Bach
招 詞 詩編 第16編7-9節
賛 美 21-57 ガリラヤの風かおる丘で
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第65編1-9節
賛 美 - やさしい目が - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-354 天の神、祈ります
聖 書 ルカによる福音書 第11章37-54節 (新共同訳新約 130頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「不幸にならないために」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-445 ゆるしてください
献 金
感謝祈祷
子ども祝福式
賛 美 21-536(1,3節)(アーメン)み恵を受けた今は
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
礼拝内で子ども祝福式がありました。
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