主日礼拝
7月8日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「必要な悩みと不必要な悩み」
聖 書:ルカによる福音書12章22-34節
説教者:小野慈美牧師
人生には、様々な悩みがあります。しかし、よくよく考えれば、悩む必要のない悩みもあります。
①「いのち」のことで何を食べようかと思い煩うな。からだも神様から与えられた大切な賜物ですから、健康に無頓着であってよいということではありません。しかし自分の寿命を自分で決めることはできません。思い煩いは、人間がコントロールできないことまで何とかしようとすることから生じます。
②「体」のことで何を着ようかと思い煩うな。体とは私たちの人格を含む存在全体です。その体を「神は装ってくださ」(28)います。つまりあなたは「価値がある」(24)、すでにその存在が美しいと言ってくださるのです。何を着ようかという思い煩いは、自分を実際以上に良くみせようと焦ることです。
主イエスは決して精神性だけを追求せよなどとはおっしゃいませんでした。むしろ、主イエスは本当の意味で現実主義者でした。普通、現実主義というと、見える世界のことにだけ価値を置く考え方を言いますが、見える領域は「現実」の一部でしかありません。本当の現実とは、見えない領域も含むのです。その意味での現実に即した生き方こそ賢い生き方です。
「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」(ヘブライ11:3)。見えない領域を含めた世界をこそ「現実」と考えるならば、見える世界も見えない世界もお創りになり支配しておられる神の前で生きることこそ、最も現実的で賢い生き方です。それが「神の国(神の御支配)を求め」(31)るということです。
自分の心を神が支配してくださるようにと祈り、神に対して全幅の信頼を置くこと。つまり、人間の力を超えた領域については自分で何とかしよう(支配しよう)とするのではなく、慈しみに満ちた神様のご支配にお任せしていく。神を前にして、「この世」で生きる。見える世界を相対化しながら、しかし軽んじることもしない。なぜなら、わたしたちが実際に神様から遣わされているのはこの世だからです。
祈りは、見える現実だけを見ていると、無力に思えることがあります。確かにわたしたち自身は無力です。しかし、わたしたちの祈りを聞いておられる方は、見えない領域をも支配しておられる全能の神です。その神様がなさることに信頼して、神の国を求めながら、今日を生きましょう。
画面内のフルスクリーンをクリックすると全画面になります。escキーで元に戻ります↑
Tweet
前 奏 - 最愛のイェスよ われらここにありて - M.レーガー
招 詞 エゼキエル書 第36章26-27節
賛 美 21-361 この世はみな
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第119編129-136節
賛 美 - 平和の道具と - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-413 キリストの腕は
聖 書 ルカによる福音書 第12章22-34節 (新共同訳新約 132頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「必要な悩みと不必要な悩み」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-532 やすかれ、わがこころよ
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-564(1節)(アーメン)イェスは委ねられる
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
〒221-0804
神奈川県横浜市神奈川区栗田谷42-43
TEL 045-323-2967
FAX 045-323-3979