主日礼拝
9月9日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「愛は忍耐強い」
聖 書:ルカによる福音書13章1-9節
説教者:小野慈美牧師
1)人間はすべて神の前では罪人だから、すべての人間は神の裁きのもとにある。
ガリラヤには、ローマに抵抗しようという過激派がいました。過越しの祭りの際にガリラヤ人の一行がエルサレムに来た時、逮捕され、見せしめのため処刑されたのでしょう。また、エルサレムで土木事業の事故があって18人の犠牲者が出ました。主イエスは殺されたガリラヤ人にしろ、この18人にしろ、「ほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」と断言し、因果応報を退けました。人間は、すべて例外なく神の裁きのもとにある。それなのに「あの人があんな目にあったのは、悪いことをしたからだ。自分は大丈夫」というような思いあがった考えを持つファリサイ人に警鐘を鳴らしたのです。
(2)しかし、神は忍耐強く、人間の悔い改めを待っておられる。
ぶどう園には、ぶどうをからませる立ち木として、実のなる果物の木が植えられたようです。一般にいちじくは植えて4年目から実がなり始めるので「3年待ってもいちじくの実が見つからなかった」とは、都合6年間実を結ばなかったということですから、「切り倒せと」いう判断は当然です。しかし、ぶどう園の管理人である園丁は、「木の周りを掘って、肥やしをやってみます」からもう一年待ってくださいと、破格の世話をしようとします。 語られない結末は、たとえを越えて主イエスご自身がやがてお示しになりました。切り倒されたのはいちじくではなく園丁でした。自らを園丁に例えておられる主イエスが、十字架で死なれたのです。十字架によって、「一年後」という条件が取り除かれました。
愛の実を結ぶことのない私たちをも、徒労とも思われる忍耐をもって、愛し続け待ち続ける園丁。この園丁の姿の中に、無条件の愛、報いを最初から計算することのない本物の愛を見出します。
「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです」(Ⅱコリ5:21)。私たちは、神の前で、びくびくしないで良い者とされたのです。悔い改めとは、この園丁によって示された神の忍耐強い愛に気付くことです。その愛に気づいたのなら、私たち自身も、傍目からは徒労と見える愛に生き始めるようになります。
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前 奏 - 愛する神にのみ - J.S.Bach
招 詞 コリントの信徒への手紙Ⅰ 第13章4-7節
賛 美 21-13(1,3,5,6節) みつかいとともに
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第112編
賛 美 - 主は、無から有を - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 21-393 こころを一つに
聖 書 ルカによる福音書 第13章1-9節 (新共同訳新約 134頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「愛は忍耐強い」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-451 くすしき恵み
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-452(アーメン)神は私を救い出された
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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