主日礼拝
9月16日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「愛は冒険する」
聖 書:ルカによる福音書13章10-21節
説教者:小野慈美牧師
安息日に主イエスが会堂で教えておられると、18年間病の霊に取りつかれ、腰が曲がったまま伸ばすことができない女性がいました(11)。ユダヤ社会では、女性は一人前扱いされていませんでしたし、難病の者は宗教的に祝福から遠いと考えられていました。しかし、その女性にイエス様の方から近づき「婦人よ、病気は治った」(12)と言われ、手を置くと、たちどころに腰がまっすぐになりました。
それを見た会堂長が群衆に「安息日に癒してもらいに来るな」と文句を言いました。なぜなら、安息日の治療行為は労働に当たるため、「安息日に働いてはならない」という一般的規定に反するからです。しかし、主イエスは、ただ伝統を壊そうとなさったのではありません。
安息日に癒しを行えば批判されることを知りつつ、主イエスは冒険なさいました。この冒険は、「無謀」でも、「困難にチャレンジすること」でもありません。主イエスの冒険は、愛の冒険であり、神の真実を示すために、人間の伝統の壁を超えることでした。
この女性も「アブラハムの娘」として神様から愛されているのに、そのことを本人も周囲も受け入れないのは何と悲しいことか。主イエスは、彼女本来の姿を取り戻したいと願ったからこそ、あえて安息日に癒すという冒険をなさった。愛は個別的なのです。この女性は「主は私のために冒険をしてくださった。ご自分が不利益を受けることを承知で、私を一人の人間として重んじてくださった」ことを知りました。主イエスの愛が、肉体の癒しを超えて、内側からあふれ出る喜びをもたらしたのです。
この主イエスの心が及ぶところが神の国であり、その意味で教会は「神の国」です。神の国は、小さく力がないかに見えます。しかし、神の国の命、神の言葉が生き生きと語られ聞かれるときに、その力が大きく人を生かします。19-20節のたとえの「からし種」「パン種」は、神の言葉の持つ命です。私たちの中に神の言葉が撒かれ、成長し、私たちを通して神の国が広がっていくのです。
「女はたちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した」(13節)とあります。主は今日も、私たちに手を置き『あなたはアブラハムの子だ』と宣言して下さいます。「自分などだめだ」とうずくまってしまうのではなく、顔を上げ心の背筋を伸ばしましょう。そして神に感謝し、賛美しましょう。
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前 奏 - こころを一つに - Satkz
招 詞 詩編 第63編3-5節
賛 美 21-151 主をほめたたえよ
主の祈り (週報の最終頁をご参照ください)
交 読 文 交読詩編 第96編1-9節
賛 美 - 心に神の愛を - ジュニア聖歌隊
分かち合い
賛 美 21-393 こころを一つに
聖 書 ルカによる福音書 第13章10-21節 (新共同訳新約 134頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「愛は冒険する」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-290(1,3,4,5節)おどり出る姿で
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-452(アーメン)神は私を救い出された
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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