主日礼拝(アドベントⅢ)
12月16日(日) 午前10時30分より
メッセージ:「恐れを乗り越える力」
聖 書:ゼファニヤ書3章14-20節
説教者:小野慈美牧師
ゼファニヤは、紀元前7世紀に活動した預言者です。その時代の王や上流階級が宗教的にも堕落し、社会的にも不正義が横行していました。そのような状況に対して、神は徹底的に裁きを行われると告げました(1:1-3:8)。しかし、3章9節以下では、がらっとトーンが変わって、イスラエルの民が敵から救われる約束、そして、神の正義が実現する世界が語られます。これは、後の、バビロン捕囚からの解放の預言であるにとどまらず、神の支配が全世界に及ぶという終末の希望の預言でもあります。そして、そのような神の約束の実現の担い手として「残りの者」(3:13)と呼ばれる者たちが用いられると告げます。「残りの者」の特徴は、
①「へりくだり」と②「喜び」です。①「へりくだり」とは、単なる腰の低さではなく、神の前で真実に生きようとすることです。彼らは、「驕り高ぶることはない」(11)「不正を行わず、偽りを語らない」(13)者です。不完全ながらも神の前で後ろめたさを覚えずに、潔く立つことができる道を求めながら生きる者です。さらに言うならば、後ろめたさがないからといって絶対に正しいわけではないことをもわきまえる者です。
②「喜び」。ゼファニアは「喜び叫べ」「喜び踊れ」(14)と告げます。喜びの反意語は聖書的には「恐れ」(16)です。恐れがあると、どんなに恵まれた状況にいても、喜びは脅かされます。なぜなら、その状況が明日も継続するという保証は無いからです。喜びとは、苦難や悲しみがないことではなく、それらに支配されない土台を他に持っていることです。人は、自分で恐れを乗り越えることはできません。それはただ、神から来ます。失敗したら、失ったら、という思いが恐れを生み出します。しかし、へりくだって生きるなら、たとえ、失敗しても、恥をかいても、神が「誉れ」を与えてくださる(19)。失敗した時にも、神様はこの状況をご存知でいてくださる。そうであるならば、失敗しても失っても神に見捨てられると恐れる必要はない。そう信じることができるとき、人は恐れを乗り越えることができます。
そして、最大の恐れをもたらすものは死です。どうしたら、死の恐れを乗り越えることができるでしょうか、死は未知の領域であるけれど、そこにも愛の神の支配が貫徹していることを知ることです。
「残りの者」は今日の教会につながっています。たとえこの世の価値がどのように変化しても、変わらないものは変わらない。その真理を伝えるために、神は私たち「残りの者」を用いてくださるのです。
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前 奏 - 一輪のバラが咲いて - J.ブラームス
招 詞 テサロニケへの手紙1 第5章16-18節
賛 美 21-242(1,2,3節) 主を待ち望むアドヴェント
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第85編
賛 美 - アレルヤ - ジュニア聖歌隊
分かち合い
賛 美 21-182 ほめうた歌え
聖 書 ゼファニヤ書 第3章14-20節 (新共同訳旧約 1,474頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「恐れを乗り越える力」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-580(1,3,4節)新しい天と地を見たとき
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-229(4,5,6節)(アーメン) いま来たりませ
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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