主日礼拝(受難節第2主日)
3月17日 午前10時30分より
メッセージ:「プライドを砕く言葉」
聖書:ルカによる福音書22章31-34節、39-53節
説教者:小野慈美牧師
十字架につく前の晩に、主イエスは、弟子たちが裏切ることを予告します。「ふるいにかける」(22:31)とは、隠されていた真実の姿があらわにされることです。ここでは、弟子たちが試練に遭い、主イエスを裏切ることを意味します。それに対し、一番弟子と自負しているペテロは断固反論します。「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」(33)(マタイには、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」26:33という言葉も記されています。)
しかし、主イエスは、ペテロのプライドをさらに打ち砕くような予告をなさいました。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」(34)。この後、一行はゲッセマネの園に行き、ユダの手引きを受けたユダヤ人指導者たちによって主イエスは捕えられます。「このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(マタイ26:56)のです。
裏切られた者にとって、裏切った相手は敵となります。ところが、主イエスはペテロが確かにご自分を裏切ることを承知の上で、そのペテロのために「信仰がなくならないように」(32)前もって祈ってくださったのです。「信仰」とは、人間の覚悟や決断に根拠を置くことではありません。信仰とは、主を裏切るようなことがあっても、主イエスはわたしを敵に回すことはなさらず、むしろ、わたしのために祈ってくださることを信じることです。
「立ち直る」とは、この主の祈りによって自分を取り戻すことです。つまり、いったんは、ふるいにかけられ、挫折する、失敗する。しかし、そこから立ち直る道が残されている。自分で自分がいやになるとき、自暴自棄にならずに神に目を挙げる。それを可能にするのが主イエスの祈りです。その祈りに支えられ、さらに「あなたは立ち直ったら、兄弟たちをちからづけてやりなさい」(32)との励ましを与えられるのです。
私たちもふるいにかけられ、そして、心ならずも、主を悲しませてしまうこともある。弱さのゆえに、眠りこける。恐れの故に、主イエスを見捨てて逃げるようなこともある。しかし、それでも主イエスは、「わたしはあなたを敵としない」と言い続けてくださる。うしろめたい思いで、神様の前に立たねばならない時こそ、主イエスがあなたのために祈ってくださったことを思い起こすのです。
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前 奏 - 血しおしたたる - J.パッヘルベル
招 詞 ヨハネの手紙Ⅰ 第4章7-9節
賛 美 21-296(1,3,6節) いのちのいのちよ
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第140編
賛 美 - それでも主はともに~インマヌエル - 武義和 ジュニア聖歌隊
分かち合い
賛 美 21-300 十字架のもとに
聖 書 ルカによる福音書 第22章31-34節 (新共同訳新約 154頁)
39-53節 (新共同訳新約 155頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「プライドを砕く言葉」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 21-530(1,2,4節) 主よ、こころみ
献 金
感謝祈祷
賛 美 21-24(アーメン) たたえよ、主の民
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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