9月15日 午前10時30分より
メッセージ:「神の約束を信じて」
聖書:民数記14章26-38節
説教者:小野慈美牧師
イスラエルの民が、エジプトを出て13か月後、約束の地を前にして、民の人口調査が行われました(民数記)。そして12人が(13:2)40日間現地を偵察後、「遣わされた地方に行って来ました。そこは乳と蜜の流れる所でした。しかし、その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、たいそう大きく」(13:27-28)と報告しました。
①13:30 カレブは「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」
②13:31 しかし、彼と一緒に行った者たちは反対し、「いや、あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々よりも強い」と言い、…悪い情報を流した。二つの判断に対し、人々は②を支持しました。ヨシュアとカレブはなおも、「もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。」(14:8)と訴えますが、「共同体全体は、彼らを石で打ち殺せと言った」(10)のです。
それに対し、神は怒り、民を滅ぼそうとしますが(11-12)、モーセのとりなし(13-19)により、民を即座に滅ぼすことはしないと約束しました。ただし、神を信頼せず、不平を言った大人たちは、約束の土地に入ることはできず、40年間荒れ野を旅しなければならなくなったのです(13:34)。
<同じ現実認識でも、異なる判断>困難な現実に直面する時「無謀」と信仰に基づく「勇気」とを分けるのは何でしょうか。無謀:根性さえあれば突破できるとばかりに、人間的な思いで、突っ走る。勇気:状況は困難だが、神の御心であれば、なすことができると決断する。カレブとヨシュアの態度は、人々からは無謀に見えたかもしれませんが、神が約束されたのだから信頼して進んで行きましょうという勇気でした。
<同じ行動でも、異なる動機>表面的には同じ行動でも、無謀になる場合と勇気ある決断になる場合とがあります。神は既に約束の地へ渡るのは40年後だとお決めになりました。ところが、それを聞いた民は、今度は、「主が約束された所へ上って行こう」(40)と言ったのです。「今となっては神の御心ではないから上って行ってはいけない(42)」とモーセが止めるのも聞かずに出て行った者たちは滅ぼされました。この場合には、進むことが無謀であり、とどまることが勇気だったのです。信仰による決断が、周囲からは、ある時には無茶だと言われ、ある時には臆病だと言われます。大切なのは、神の御心、お約束は何かを祈り求め、示されたところに従うことです。
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前 奏 - 愛するイエスよ - J.S.バッハ
招 詞 ローマの信徒への手紙 第12章3-5節
賛 美 225 すべてのものらよ
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第126編
賛 美 - 主はわたしの歌 - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 543 キリストの前に
聖 書 民数記 第14章26-38節 (新共同訳旧約 236頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「神の約束を信じて」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 すべてのことが
献 金
感謝祈祷
賛 美 28 み栄あれや
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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