10月20日 午前10時30分より
(召天者記念)
メッセージ:「命のことばを食べて生きる」
聖書:申命記8章1節-6節
説教者:小野慈美牧師
「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」(申命記8:3)。イスラエルの民が荒野を旅したときに、パンが必要だったと共に、どのように進んだら良いか、どのように生きたら良いのかという神の言葉がなくてはならないものでした。それは、約束の地に入っても同じ。ところが、人間は、定住して安定した生活を手に入れると、自分がどこから来たのか、また、自分が神に生かされている者であることを忘れて、パンさえ満たされていれば、それで良しとしてしまいがちになる。人間は、ただパンを食べて生命活動をする生き物なのではなく、神の言葉によって、すなわち生ける神との交わりの中で生きる存在として創られたことを忘れてはならないことの戒めとしてこの言葉が与えられました。
主イエスの公生涯の初めに、悪魔は「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と迫りました。それに対して、主イエスは、「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる』と書いてある。」と応じました(マタイ4:3-4)。つまり、経済的な問題の解決こそが、最も重要なのだという誘惑に対し、人間は経済的な必要さえ満たされればよい者として創られ生きているのではないことを宣言なさいました。
イスラエルの人々がエジプトから解放された時に与えられた十戒の中に、「安息日を聖別せよ」という戒めがあります。それは、「あなたがたはもはや奴隷ではない。苦役から解放されて自由に神を礼拝できる身となったのだ。だから、そのために安息日を取り分けなさい」という意味です。パンは必要だ。パンのために働くことは尊いことだ。しかし、同時に、パンの奴隷になってはならないという戒めでもあります。
私たちの先達が、71年前に捜真教会を設立し、礼拝の場所としてこの礼拝堂を建てました。それは、私たちが、パンだけで生きるのではなく、神の言葉によって生きる者であることを具体化する場所として大切にしたからです。私たちはその信仰の遺産を受け継いで、日曜ごとに神の言葉を食べて生かされています。そして、私たちが与えられたこの恵みを、さらに多くの方たちに伝えていくために、次の世代に渡していくために、毎週、この礼拝堂でこれからも礼拝を捧げていくのです。
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前 奏 - 主はわが命 - J.G.ヴァルター
招 詞 ヘブライ人への手紙 第12章1-2節
賛 美 382(1,4,5節) 力に満ちたる
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第113編
賛 美 - 天において主をたたえよ - ジュニア聖歌隊
召天者記念式
分かち合い
賛 美 113 いかに幸いな人
聖 書 申命記 第8章1-6節 (新共同訳旧約 294頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「命のことばを食べて生きる」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 385 花彩る春を
献 金
感謝祈祷
賛 美 25 父・子・聖霊に
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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