11月10日 午前10時30分より
メッセージ:「私はあなたと共にいる」
聖書:ヨシュア記1章1節-9節
説教者:小野慈美牧師
イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセは約束の地を前にして120年の生涯を終えました。後継者としてヨシュアが立てられ、「わたしはあなたと共にいる」という約束が与えられました。
Ⅰ 神は一人一人に固有の仕方で共におられる
神が共におられる仕方は人によって異なります。ヨシュアが、「神が共にいてくださる」ということを、自分にもモーセと同じことが起こることだと考えると、おそらく期待はずれの連続ということになるでしょう。神は、一人一人にふさわしい仕方で共にいてくださり、神の恵みの現れ方は一人一人違うのです。神様から与えられた人生を、神様と対話しながら、真実に生きていけばよいのです。
Ⅱ 神がどこにでも共におられるから恐れるな
多くの場合、わたしたちの恐れは、孤独感から生じます。人間は、他の人間とどこまでも一緒に行くことはできません。しかし、神だけは最後まで人と共にいることができます。「恐れるな」という言葉の真意は「恐れが生じても、わたしが共にいるから、恐れに支配されるな」です。信頼できるお方がそばにいて、「大丈夫だよ」と声をかけてくれるときに、人は恐れに支配されることから守られます。「あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」神とのWi-Fiはどこでもつながるのです。
Ⅲ 神が共にいるとは、神の言葉が共にあること
信仰とは、漠然と神の存在を信じることではなく、神の言葉に対する信頼です。神の言葉は神ご自身なのです。そして「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にある」(申30:14)のです。
「苦しいときの神頼み」という言葉がありますが、信仰者にとって深刻なのは、「苦しいときの神離れ」です。苦しいことがあると、神は自分を見捨てたかのように感じて、心が神から離れてしまうのです。神が共におられるとは、ものごとが順調にいくという約束ではありません。「本当に神は共におられるのか」と問いたくなったり、自分の失敗や愚かさの故に、神から遠ざかってしまったと感じることもあります。しかし、そのときこそ、以下の神の言葉(ヨシュア1:5、9)を思い起こしましょう。
「わたしはモーセと共にいたようにあなたと共にいる。あなたを見放すことも見捨てることもない。」
「うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」
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前 奏 - 主はわがかいぬし - E.Titcomb
招 詞 箴言 第16章2-3節
賛 美 7(1,3,5節) ほめたたえよ、力強き主を
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第115編1-13節
賛 美 - 主よみ言葉をください - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 170(1,2,4節) わが魂よ、主をたたえよ
聖 書 ヨシュア記 第1章1-9節 (新共同訳旧約 340頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「私はあなたと共にいる」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 461 みめぐみゆたけき
献 金
感謝祈祷
賛 美 主イエスはきずな
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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