1月26日 午前10時30分より
(特別伝道礼拝)
メッセージ:「歌声の理由」
聖書:ゼファニア書3章14節-17節
説教者:松田牧人牧師
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ゼファニヤは2600年ほど前、バビロン捕囚の少し前に活躍した王の血を引く預言者。14節に「娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ」とある。しかし、この書をはじめから読むなら、とても歌う気持ちにはなれない。この書のテーマは「主の日が近い」である。主の日とは、主が罪人を裁かれる日である。その罪人とはイスラエルであり、私たち一人ひとりでもある。そのような裁きが近いにも関わらず喜び歌うべき理由とは何か。
<与えられるべき裁きが取り除かれたから> 15節aには「主はお前に対する裁きを退け…」とある。この「裁き」は「(死刑)宣告」とも訳される。「私はどうしようもない罪人です。裁きは当然です。しかし、主は私を裁くことをやめて、赦してくださいました。だから私は賛美します!」ということである。罪を赦すというのは、単に水に流すということではない。私たちを赦すために、水ではなく主イエスの血が流されたことを私たちは知っている。ゼファニヤという名前は「主は覆ってくださる」という意味である。主イエスの血潮が、私たちの罪を覆ってくださるのだ。
<与えられるはずのない関係が与えられたから> 15b-17節には「…王なる主はお前の中におられる」「恐れるな、力なく手を垂れるな」「主はお前のゆえに喜び楽しみ、愛によってお前を新たにし、お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる」とある。裁きを免れた(マイナスがゼロになる)だけではなく、神の臨在、愛、喜びと歌声あふれる交わり(マイナスが無限大のプラスになる)が与えられることがここに記されている。神が私たちのために愛の歌を歌ってくださるから、私たちは神に歌うのだ。
利府教会の創設牧師であった齊藤牧師は、昭和30年代にある死刑囚との出会いを経験した。刑務所でキリスト者となった彼の死刑執行の日、彼の様子は通常の死刑囚とは全く違う落ち着いたものであった。讃美歌320番「主よ、みもとに」を歌いながら階段を登り、彼は静かに執行を受けた。彼のその歌声の理由は、与えられるべき裁きを取り除かれ、与えられるはずのない神様との永遠の関係を与えられたこと…。
「神様、私は裁かれるべき罪人です。どうぞお赦しください。イエス様、あなたこそが人となってこの世界に来られた神、私の救い主です」と心から祈る時、私たちは、あの死刑囚と同じように救いを受け取り、心からの賛美を捧げることができる。「我が神、我が神、どうしてこんな私を愛してくださるのですか?」と叫びたい思いが湧いて来る。ご一緒に主をほめたたえて参りましょう。
礼拝への招き
賛 美
聖なる聖なる
Sing A New Song
あなたに招かれて
満たしてくださる方
祈 り
聖 書 ゼファニヤ書 第3章14-17節(新共同訳旧約 1,474頁)下記
メッセージ 「歌声の理由」 松田牧人牧師
祈 り
賛 美
天のラブソング(献金)
Amazing Grace
祝福の祈り 松田牧人牧師
14 娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。
15 主はお前に対する裁きを退け お前の敵を追い払われた。
イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。
16 その日、人々はエルサレムに向かって言う。「シオンよ、恐れるな 力なく手を垂れるな。
17 お前の主なる神はお前のただ中におられ 勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに
喜び楽しみ 愛によってお前を新たにし お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」
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