2月9日 午前10時30分より
メッセージ:「神を神とする」
聖書:ルカによる福音書20章20節-26節
説教者:小野慈美牧師
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1)<指導者たちのたくらみ>イエスは、ユダヤ教の指導者たちにとって、自分たちの宗教的権威や体制を覆そうとする危険人物でした。そこで、イエスを陥れるために「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」(22)と問いました。もし、イエスが「納めなさい」と答えれば、民衆がイエスに抱いている政治的解放者としてのメシア期待は一気にしぼんで影響力を失います。一方「納めるな」と答えたら、ローマへの反逆罪としてイエスをローマ当局に渡すことができます。それに対して、主イエスは、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(25)とお答えになりました。
2)<皇帝のものは皇帝に>絶対的な権威は神にあるが、神は地上の国家に相対的な権威を与えておられることを認める。それが「皇帝のものは皇帝に」の意味であろうと思います。信仰者も皇帝の領域で生きており、その秩序を相対的に尊重します。なぜなら、皇帝の領域も根本的には神の支配のもとにあるからです。
3)<信教の自由>ただし、本来、相対的なものであるはずのこの世の権威が、絶対的な権威を主張し始めたならば、私たちは抵抗しなければなりません。捜真教会の信仰告白には「わたしたちは、聖書が証言している父、子、聖霊の三位一体の神を信じます。この神の上に立ついかなる権威も認めません」とあります。信教の自由は、絶対的な領域にかかわるものです。仮に日本政府が、「日本人は、キリスト教を信仰しなければならない」と強制するとしたら、私は断固反対します。他の人が他の宗教を信じる自由が保証されてこそ、キリスト者の信仰も真の意味で尊重されるのです。
4)<神を神とする>「神のものは神に返しなさい」とは「神を神とする」ことです。私たちの具体的な生活の中でどういうことかを考えてみましょう。それは、何かを決断したり、判断する時、自分は神の導き、神の支配を本当に求めているのかどうかということです。神様は、私たちがやってきたことをやめたり、変えたりすることをお求めになることがあります。たとえ、キリスト教的な活動や教会内の活動であっても、我を張って自分の思いを最優先するならば、それは、自分を皇帝に、しかも神に敵対する皇帝にしてしまうのです。自分が主人公になるときに、自分が神の上に立つことになるからです。神を神とすることは、神に対して心を柔らかにし、「主よ、あなたの御心に生きることができるよう導いてください」と祈りつつ生きることです。
前 奏 - 祈り - F.Boely
招 詞 エフェソの信徒への手紙 第4章1-3節
賛 美 167(1-5節) 天にいます神よ
主の祈り
交 読 文 交読詩編 第113編
賛 美 - 主よ み言葉をください - 聖 歌 隊
分かち合い
賛 美 290(1,3,4,5節) おどり出る姿で
聖 書 ルカによる福音書 第20章20-26節 (新共同訳新約 149頁)
祈 祷
黙 想
説 教 「神を神とする」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 512 主よ、献げます
献 金
感謝祈祷
賛 美 神はあなたと共にいる
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
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