6月21日 午前11時より
メッセージ:「風に吹かれて」
聖書:ヨハネによる福音書3章1-15節
説教者:小野慈美牧師
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ニコデモは、ユダヤ教のおきてを厳格に守る「ファリサイ派」に属し、当時のユダヤ人社会の最高決議機関の「議員」でした。彼はイエスの話を聞き興味を持ちました。しかし一方、自分の立場も保持したい。そこで、彼は、人目を避け、イエスの弟子たちにも顔を見られないように夜イエスを訪問しました。彼には今の自分の生活にイエスの持っている何かを加えて、さらに良いものにしたいという期待がありました。それに対し、イエスは「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3)と言われました。
「風は思いのままに吹く。…霊から生まれた者も皆そのとおりである」(8)。「風」と「霊」はギリシャ語では同じ言葉です。新たに霊から生まれるとは、自分の都合に神を合わせるのではなく、風の音、つまり、主イエスの言葉(神の言葉)を聞いて生き始めることです。
ニコデモは「どうして、そんなことがありえましょうか」(9)と反論します。「私たちには律法という堅固な土台があり、それに従ってこそ、確かな生き方ができるのです」と。
彼の言葉は、ここで終わっています。人間を風車(かざぐるま)に例えるならば、自己中心という罪が、風車の軸を歪ませ、錆付かせます。その結果、風が吹いても、「自分は自分のやり方で生きていく」と頑なに回ろうとしません。しかし、軸が柔らかであるときに、風に対して柔軟に応答するようになります。「風に吹かれて」生きることは、自分にとって「これこそが拠り所だ」というものから解放されて、神の愛に身をゆだねて生きることです。それによって、むしろ、持ち物も、経験も、能力も生かされるのです。
ニコデモが新たに生まれるときが来ました。十字架上の主イエスの声と姿が風となって心を動かしたのです。彼は、主イエスをメシアと信じ、自分の地位が脅かされることを承知の上で、アリマタヤのヨセフと共にイエスの遺体を引き取る行動に出たのです。
きょうの箇所がヨハネ福音書に残っているのは、ニコデモが、後に弟子集団に加わり、この出来事を語ったからです。彼は、十字架の後、聖霊の風に吹かれて、自分を最もよく生かしてくださる主イエスの言葉に信頼して生き始めたのです。
彼を生かした霊の風がきょうも、あなたに吹いています。「わたしはあなたにとって最善が何であるかを知っている。自分の人生のハンドルをわたしに委ねてくれないか。そうすれば、あなたが最もあなたらしく生きることができる。」The answer is in the Wind! 人生の答えは、聖霊の風の中にあります。
前 奏 - 聖なる主の美しさと その栄えを仰いで - Satkz
招 詞 ヨハネによる福音書14章26節(下記)
賛 美 17(1、2) 聖なる主の美しさと
主の祈り
聖 書 ヨハネによる福音書 第3章1-15節(新共同訳新約 p.167)
祈 祷
黙 想
説 教 「風に吹かれて」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 346 来たれ聖霊よ
献 金 (※礼拝堂への入退場時にお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 24 たたえよ、主の民
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
分かち合い
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招詞:「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ14:26)
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