7月19日 午前10時30分より
メッセージ:「行き先を知らない旅」
聖書:創世記12章1-4a節、ヘブライ人への手紙11章8-10節
説教者:小野慈美牧師
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アブラハムは父テラと共に、ウルからカナンに向かう旅を始めました(11:31)。しかし、テラはカナンに行かず、途中のハランで死にました。この後のアブラハムの旅立ちが、イスラエル民族の歴史の始まりとされています。この箇所から、信仰者としてのヒントが与えられます。
1)信仰とは神の導きに従うこと。
「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」(ヘブライ11:8)。「行き先も知らずに」:最終的な行き先がカナンであることは知っていましたが、どのような所であるのかは知りませんでした。「わたしが示す地に行きなさい」(12:1)とは、人間的な保証に依り頼むのではなく、神により頼む生き方をしなさいということです。「アブラムは、主の言葉に従って旅立った」(4)。これは冒険かもしれませんが、無謀とは違います。また、示されてもいない所に蛮勇をふるって出かけることでもありません。あくまでも神の導きに従ったのです。神の示す地に行くことは、今までの安定した状況に何らかの変化を起こすでしょう。その変化は、必ずしも自分にとって都合が良いこととは限らない。しかし、導きに従うことは、一見都合が悪く思えることであっても、結局は最善なのです。
2)神の導きに従うとき祝福される
神の示す地に行くときに、「あなたを祝福」(2)するという約束が与えられています。その祝福は単にあなた個人にとどまらず、周囲の人々にまで及ぶのです。あなたが神様の示す地に向けて踏み出すとき、そのことを神様が祝福してくださる。悲壮感の漂う一大決心をしなければならないということではなく、大きなことであろうが小さなことであろうが、あるいは見かけは何の変化も伴わないことであろうが、神が示されるから従う。そのとき、神は祝福してくださる。さらには、思いがけない仕方で、いつの間にかあなたは祝福の源となっている。
3)神の導きはその都度与えられる
神の導きは、一度与えられたら、それで終わりではなく、旅路に合わせて与えられます。だから、今、何もかも見えていなくてもよいのです。アブラハムはカナン地方に入り、まずシケムに、続いてベテルに、そして「さらに旅を続け、ネゲブ地方へ移った」(9)のです。神様は、状況をも導きの手段として用いられます。自分の意志ではなく、状況がある方向へ運んでいくことがあるのです。
アブラハムの信仰は、新しいイスラエルとしての教会にも受け継がれています。私たちは、時間と空間を越え、信仰によってこのアブラハムの歴史につらなっています。アブラハムを呼び出し、生かした神様が私たちの神様であり、今も生きておられます。神様の大いなる救いの歴史の中で民の一人として用いられるのです。絶えず、新しく主の前に祭壇を築き、導きを祈り求めましょう。
前 奏 - みことばを信じ たえず主を歌おう-J.S.バッハ
招 詞 Ⅰコリント10章13-14節(下記)
賛 美 59(1-3) この地を造られた
主の祈り
聖 書 創世記12章1-4a節(旧約p.15)
ヘブライ11章8-10節(新約p.415)
祈 祷
黙 想
説 教 「行き先を知らない旅」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 463(1,2)わが行くみち
献 金 (※礼拝堂への入退場時にお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 28 み栄えあれや
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
分かち合い
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「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい。」(1コリント10:13-14)
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