9月27日 午前10時30分より
メッセージ:「遠くて近い神」
聖書:マタイによる福音書6章9-10節、ガラテヤの信徒への手紙4章6-7節
説教者:小野慈美牧師
※礼拝視聴にはパスワードが必要となります。お申し込みはこちら
画面内のフルスクリーンをクリックすると全画面になります。escキーで元に戻ります↑
<天にまします>とは、神が時間と空間を超越しておられるお方という意味です。しかし聖書の神は、超越的な存在でありながら、人間と人格的な関りを持ってくださる。これは、驚くべきことです。
その驚きを詩編の作者はこう表現しています。「あなたの天を、あなたの指の業をわたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは」(詩8:4-5)。神に対する遠さを忘れると畏れを失います。「神さま」と拝んでいながら、私たちは、事実上、神を幸福の自動販売機のように扱ってはいないでしょうか。ご利益があればさらに拝むけれど、ご利益が無ければ、他の神を拝む。これは神を召使として扱っていることに他なりません。
<父よ>神は、遠く、畏れ多いお方ですが、同時に近いことを表すのが「父よ」という呼びかけです。
①神様を「お父さん」と呼ぶのは、主イエスが教えてくださったからです。
主の祈りの最初の言葉は、アラム語で父を意味する“アッバー”であり、「お父さん」「お父ちゃん」に相当するものです。神様に対する敬意と親しみを込めた呼びかけを教えてくださったのは主イエスです。それは、神が抽象的な概念としての神ではなく、温もりのある人格的な神だということです。
②神様をお父さんと呼ぶことができるのは、私たちに「神の子」の立場が与えられたからです。
「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが『神の子』と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです」(Ⅰヨハネ3:1)。神の子は、イエス・キリストを示す称号ですが、私たちも「神の子」と呼んでいただけます。「あなたがたが子であることは、神が、『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊をわたしたちの心に送ってくださった事実から分かります」(ガラテヤ4:6)。天のお父様と呼ぶとき、聖霊が、遠いお方である神との身近な関係に私たちを導き入れてくださいます。
③「天のお父様」と呼ぶとき、私たちは、この神以外の支配から自由にされます。
父なる神を呼ぶとき、運勢や占いに縛られる必要はなくなります。神が、宇宙を創られ、すべては愛の神のご支配の中にあります。その神が父なのですから他の何かを恐れる必要はないのです。
<我らの> この祈りを祈るのは、この祈りを自覚的に祈るキリスト者です。しかし、それは、父なる神がキリスト者だけの神だということではありません。私たちを「神の子」と呼んでくださる神の愛は、全ての人に及んでいます。ですから、私たちが「我らの父」と祈る時、誰かのために祈る使命も与えられているということです。その誰かが信仰者であろうとなかろうと、直接知っている人であろうとなかろうと、すべての人が私たちのとりなしの祈りの対象となるのだ、ということでもあるのです。
前 奏 - 主イエス・キリストよ、われらを顧みて- J.S.バッハ
招 詞 イザヤ41章10節(下記)
賛 美 409(1,3) すくいの道を
主の祈り
聖 書 マタイによる福音書6章9-10節(新約p.9)
ガラテヤの信徒への手紙4章6-7節(新約p.347)
祈 祷
黙 想
説 教 「遠くて近い神」 小野 慈美 牧師
祈 祷
賛 美 493(1,2)慈しみ深い
献 金 (※礼拝堂への入退場時にお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 28 み栄えあれや
祝 祷 小野 慈美 牧師
後 奏
分かち合い
**************************************
「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。」(イザヤ41:10)
■ご意見・ご感想
よろしければ、礼拝視聴後にご意見・ご感想をお寄せください。
また牧師宛のメッセージは、牧師のみでお取り扱いさせていだきます。
当目的以外に利用いたしません。
ご意見・ご感想はこちら
〒221-0804
神奈川県横浜市神奈川区栗田谷42-43
TEL 045-323-2967
FAX 045-323-3979