3月13日(日)10時30分より
受難節第二主日礼拝
メッセージ:「いつなのか?」
聖書:ルカによる福音書17章20-21節
説教者:浅輪一郎伝道師
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私たちの「いつなのか?」と問いたくなるような思いについて今日の聖書箇所から導きを求めます。
(ファリサイ派とは)
事典によると「ファリサイ派」とはイエス様の時代のユダヤ教の一派とされています。律法を細部に至るまで厳格に守ろうすることによって神様の正義を求めたのですが、そのお陰でユダヤ教は後世に伝えられたと言われています。一方で、あまりにも厳格に律法を守ろうとしすぎて形式主義に陥ってしまったとも言われています。字義的には、ファリサイ派の「ファリサイ」とは「律法で汚れているとされているものから分離する」という意味であるそうです。当時、イエス様が住んでおられた地域はローマ帝国に支配され傀儡政権が建てられていました。そうしましたら、そこに住んでいる人々にとりましたら「一体いつになったらこの地の『不正義』は終わるのか?/一体いつになったらこの地に『平和』は訪れるのか?」と思うのは当然かもしれません。
そのような思いの中でファリサイ派の人々は真剣に律法と向き合おうとしたのでしょう。神様に頼ろうとしたのでしょう。ただ、そのやり方に、問題が生じるようになってしまった。
(神の国とは)
「神の国」とは「神の御支配」という意味だそうですが、その神様が御支配される場所/時という考え方には二つの側面があると言われています。一つ目:それは不変の事実であるという側面です。神様は天地を創造された訳ですから、その御支配は永遠に及ぶということです(ダニエル3:33b)。二つ目:一方で「未来に」という側面もあります。具体的に、神様の御支配とはイエス様の時代でしたら、「近い将来に神様からの介入があって、イスラエルの民はローマ帝国の支配から解放されるであろう」という期待です。そして、それが「神の国の実現である」と多くのイスラエルの民は思っていたに違いありません。
(見える形とは)
ファリサイ派の人々が、そのような神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエス様は答えて言われました。「神の国は、見える形では来ない(17:20)。」この、日本語で「見える形では」と訳されている言葉は、元々は「観察」という意味であるのですが、実は聖書の中ではこの箇所でしか用いられていません。しかしこの「動詞形」として用いられている他の箇所を見てみますと「注目していた」(6:7)、「うかがっていた」(14:1)、「機会をねらっていた」(20:20)と訳されています。
ファリサイ派の人々は、イエス様に…、注目をしていました、うかがっていました、そして、総督の支配と権力に引き渡そうと、その機会を狙っていました。
「神の国は、見える形では来ない」とは、「神様の御支配がおよぶ場所/時」というものは、人間同士が、いいえ、人間の集まりである国同士が、互いに監視し合ったり批判し合ったりした末に来るものではない、と私はこの聖書箇所から導かれています。
イエス様はなおもお言葉を続けられます。21節です。「『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
イエス様は、神の国とは未来になって初めて実現されるものではなく、今すでに、あなたがたの間にあると仰っています。
(結語)
今、私たちキリスト者は、キリスト教の暦の上では受難節の中にいます。これは、イエス様は私たちの救いの為に十字架に付けられ、やがて復活をされるのですが、その復活されたイエス様の手には、釘の跡が、わき腹には槍の跡が残っていた…ということに、改めて深く思いを馳せる時であります。
私たちキリスト者は、キリストにあって生き、キリストにあって死に、そしてキリストにあってよみがえらせられる者であるということを堅く心に留める時に、私たちも、それぞれの私たちの苦悩が…、私たちの「いつなのか?」という嘆きたくなるような思いが、きっと喜びに変わる。そしてその萌芽は、もうすでに今ここにあるということを、私たちは今日の聖書箇所から思い起こしたいと思うのです。
前 奏 - 栄えの主イェスの - C.シャルク
招 詞 詩編126編5-6節(下記)
賛 美 297(1,2,3) 栄えの主イェスの
主の祈り (「讃美歌21」 93-5-B 日本キリスト教協議会統一訳)
聖 書 ルカによる福音書17章20-21節 (新約p.143)
祈 祷
黙 想
説 教 「いつなのか?」 浅輪一郎 伝道師
祈 祷
賛 美 花も
献 金 (※礼拝献金は、退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 2022年主題賛美歌「たゆまず祈りなさい」
祝 祷 小野慈美 牧師
後 奏
分かち合い
まん延防止等重点措置期間が延長されたため、聖餐式はお休みします。
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「涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、
泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」(詩編126:5-6)
■主の祈り (日本キリスト教協議会統一訳)
天の父よ
み名があがめられますように。
み国が来ますように。
みこころが天で行われるように 地上でも行われますように。
わたしたちに今日も この日のかてをお与え下さい。
わたしたちに罪を犯した者を ゆるしましたから、
わたしたちの犯した罪を おゆるし下さい。
わたしたちを誘惑から導き出して 悪からお救い下さい。
み国も力も栄光も とこしえにあなたのものだからです。
アーメン。
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