10月30日(日)10時30分より
メッセージ:「最高の道を教えます」
聖書:コリントの信徒への手紙一 12章27節―13章13節
説教者:浅輪一郎伝道師
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「最高の道を教えます」と題し、私たちに与えられている賜物(カリスマ)について導きを求めます。
(コリントの人々)
コリントはかつて商業/貿易/政治の中心地として栄えていました。そこではいわゆる持つ者が持たざる者を支配していたと言います。そのような風潮の中で人々は教会の中でも能力/力/「賜物」を持つ人々が、持っていない人々(あくまでもそのように見える人々)を蔑むようなことが起こっていたと言います。「目が手に向かって『お前は要らない』」とか、「頭が足に向かって『お前たちは要らない』」(12:21)とかと言うことが教会の中でも起こっていたというのです。一方で、そのような能力/力/「賜物」を“持っていない”と思っている人々は自信を失っていました。「足が、『わたしは手ではないから、体の一部ではない』」(12:15)と、「耳が、『わたしは目ではないから、体の一部ではない』」(12:16)とのように自らが自らを蔑むようなことも教会の中では起こっていました。
(現代の私たち)
しかしこのようなことは今に生きる私たちにも、教会の中でも起こり得ます。特に「賜物」というものが、人間の知識・経験の有無、多寡、または良し悪しだけで評価される時に、そして今日の「招きの詞」にもありました「賜物というものは神様から与えられている」(12:4)ということが忘れ去られている時に、私たちは、いつの時代であっても「お前は要らない」と、または 「私は要らない」と言い合うのだと思うのです。
(もっと大きな賜物)
しかし私たちはパウロがかつてこのように言ったことを思い出したいと思うのです。「あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に務めなさい。」(12:31a)そして今日のメッセージ題でありますこの言葉が続くのです。「そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。」(12:31b) では、パウロが言う「もっと大きな賜物」とは一体何なのかと言いますと、それが、「愛」です。神様から頂く愛だと言うのです。13章1節から3節までです。「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとして わが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしには何の益もない。」そして愛については「このようなものである」とパウロはさらに語ります。4節から8 a節までです。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。」
さて、私たちは、このような愛の性質が示されて、「自分はそのような愛は持っていない」と再び尻込みをするかもしれません。しかし、私たちはここでも思い起こしたいと思うのです。それは、そもそも私たちに与えられている様々な賜物もそうでありましたように、今、語られている「もっと大きな賜物」こそ神様から与えられているものである…ということを。ヨハネによる福音書3章16節です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 神様は私たちを愛された。神の独り子をお与えになるほどに私たちを愛された。私たちにもたらされている「もっと大きな賜物」とは、神様が私たちを愛するが故にこの世に送られたイエス・キリストのことであるのです。
(結語)
今日は宗教改革記念日です。その宗教改革を結果的ではあったのかもしれませんが、その宗教改革を導いたマルティン・ルターでさえも様々な困難に直面する度にこのように自分自身に言い聞かせていたとも言われています。「お前はバプテスマを受けているではないか?」
私たちには、それぞれに、神様からの固有の賜物が与えられている。そして私たちには神様から「もっと大きな賜物」が与えられている。私たちには愛が与えられている。イエス様が与えられている。イエス様がいつも共におられる。上手くいく時も、上手くいかない時もイエス様がいつもそばにおられる。私たちは、その賜物を抱きながら、これからも共に、一歩一歩、歩んで行く。それが 私たちの「最高の道」なのです。
前 奏 - かみはわがやぐら - J.G.ヴァルター
招 詞 コリントの信徒への手紙一12章4-7節(下記)
賛 美 讃美歌21-50 みことばもて主よ
主の祈り
聖 書 コリントの信徒への手紙一12章27節-13章13節(新約p.316)
祈 祷
黙 想
説 教 「最高の道を教えます」 浅輪一郎伝道師
祈 祷
賛 美 54年版267 神はわがやぐら(1,2,4)
献 金 (※礼拝献金は、退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-29 天のみ民も
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
分かち合い
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賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。(Ⅰコリ12:4-7)
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