4月23日(日)10時30分より
メッセージ:「人生に不可欠のもの」
聖書:マルコによる福音書10章17-31節
説教者:小野慈美牧師
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「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」(17)と問う青年問いに対し、主イエスが十戒を守ることを勧めると、青年は「そういうことは、守ってきました」と答えます。そこで、「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」(21)。丁寧に訳すと、「イエスは彼を見つめて、まさに彼を愛して、彼に言われた。」主イエスは、彼の心を洞察なさって言われました。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、私に従いなさい。」この命令は、誰に対してもあてはまる一般的な命令ではありません。彼にとっては、財産が、神に信頼して生きることの妨げになっていたので、この言葉が必要だったのです。私たちにも、それぞれ、神様との交わりを妨げているものがあるかもしれない。そして、イエス様は一人一人に対し、違った仕方で教えてくださり、まことの自由へと導こうとなさるのです。「人生に不可欠のもの」とは、「神の恵みによって生きること」です。それを妨げるものは「所有への執着と」と「功績の誇り」です。
「人生に不可欠のもの」の妨げ①:所有への執着
「私たちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。金銭の欲が諸悪の根源だからです。」(Ⅰテモテ6:7,10聖書協会共同訳)
「神を神とする」のではなく「金を神とする」ことが、神との交わりを妨げるのです。富を持つと、たいてい地位や、名誉などもついてくる。富を失うと、人々の扱いが変わるかもしれない。偉かった人が、「ただの人」になる。それはなかなか受け入れがたい。だから、所有に縛られるのです。神を神とするということは、私たちを束縛するものから守られるため、神以外のものに支配されることから解放されるために、不可欠のことです。「捨てなさい」とは、厳しいお叱りの言葉ではなく愛の招きなのです。
家族への執着も問われています(29,30)。最も身近な家族であっても、絶対ではない。ただし、家族を愛することが禁じられているのではありません。主イエスも母マリアを大切にし、十字架の上で母を愛弟子に託されました(ヨハネ19:26-27)。持ち物であれ、家族であれ、神様から与えられたものとして受け留め直していくことが大切なのです。
「人生に不可欠のもの」の妨げ②:功績の誇り
「私の主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに私はすべてを失いましたが、それらを今は屑と考えています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。私には、律法による自分の義ではなく、キリストの真実による義、その真実に基づいて神から与えられる義があります」(フィリピ3:8-9聖書協会共同訳)
すべては与えられたものなのだから、神がお求めになるのであれば、お返ししていく、これが捨てるということの意味でしょう。ところが、自分はこれだけ捨てているという高ぶりを持ち、自分こそが神の国に真っ先に入れていただけるという思いを抱いてしまうと、神の国から遠ざかってしまうのです(マルコ10:28,31)。「律法による自分の義」(フィリピ3:9)とは、「自分がどれだけ良い人かという評価」と言い換えても良いでしょう。あなたは「良い人」であるからではなく、「キリストの真実による義」、すなわち、イエス・キリストが十字架でなさってくださったことによって、既に赦され、愛されているのです。その恵みを知って生きることが「人生に不可欠のこと」です。
主イエスはあなたを見つめ、あなたを愛して、あなたに言われます。「安心してわたしに従いなさい。あなたにとって最も良いものを与えよう。」
前 奏 -主イエス・キリストよ、我らをかえりみて― J.S.バッハ
招 詞 ガラテヤ2章16節(下記 聖書協会共同訳)
賛 美 讃美歌21-329 目覚めよ、歌えよ
主の祈り
賛 美 「常に主を覚えて」 聖歌隊
聖 書 マルコによる福音書10章17-31節 (新約p.81)
祈 祷
黙 想
説 教 「人生に不可欠のもの」 小野慈美牧師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-197(1,2,4) ああ主のひとみ
献 金 (※礼拝献金は、入退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-90(4) 主よ、来たり、祝したまえ
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
音楽奉仕者任職式
分かち合い
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人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の行いによってではなく、キリストの真実によって義としていただくためです。なぜなら、律法の行いによっては、誰一人として義とされないからです。(ガラテヤ2章16節)
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