5月21日(日)10時30分より
メッセージ:「神の約束を待つ」
聖書:使徒言行録1章3-8節
説教者:浅輪一郎伝道師
※どなたでも視聴できます。
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聖書箇所には、復活されたイエス様は40日に渡って弟子たちと一緒に過ごされていたと記されています。今日はこの箇所から、「神様の約束を待つとはどういうことなのか?」ということについて導きを求めます。
1.神様の国ついて聞く(3節):神様の約束を待つ間に私たちは神様の国について聞くことが出来ます。現在私は神学校においてその喜びを得ていますが、私たちは教会における毎週の礼拝を通しても、その喜びを感じ取ることができます。
2.食事を共にする(4節):教会では愛餐会というものが開かれます。教会で開かれる愛餐会の中心には私たちの主、イエス・キリストがおられます。そして主を覚えながら頂くこの食事は、イエス様が十字架に付けられる前の晩に弟子たちと共に食事をされ、「これからもこのように行いなさい」と言われた主の晩餐にも繋がります (ルカ22:14-23)。
私たちが与えられた一定の期間、神様の約束を待つということは、イエス様が中心におられる食卓を囲んで安心して交わりを持つということです。
3.遣わされる(8節):神様の国について聞き、そしてイエス様が中心におられる食卓に着いた者は、聖霊の力を受けて遣わされていきます。私たちは「神様の言葉を聞いて、食卓につければ、それで充分幸せだ」と思うかもしれません。しかしイエス様は、そのような幸せ以上にさらなる喜びを 私たちに 与えて下さいます。それが、「あなただから伝えて欲しい」と、「あなただから行って欲しい」と遣わして下さるということです。そしてそのために、イエス様は、私たちに力を与えて下さる/聖霊を注いで下さいます。
(まとめ)
これらを振り返ると私たちはこれらの全てには、「喜びというものが貫かれている」ということに気づかされます。私たちは神様の言葉を聞いて喜ぶ。イエス様が中心におられる食卓を共にして喜ぶ。そしてイエス様から信頼されて喜ぶ。
しかし同時に、福音書というものを思い起こしてみますと、イエス様が復活される前の弟子たちは、決して喜びで満たされていた訳ではなかったということにも私たちは気づかされます。
大切な方が/イエス様が亡くなられた。その大切な方のために/イエス様のために、弟子たちは結局何も出来なかった。弟子たちは悲しみの中にいました。絶望の中にいました。しかしイエス様は、そのような弟子たちの為に復活をされました。そして、イエス様はそのような弟子たちと共に、40日間おられました。そうしますと、この一定の期間は、弟子たちにとっては、絶望を希望へと変えてくれる大切な大切な期間であったと言えるのかもしれません。そして、この期間というものは、弟子たちばかりではなく、その後、イエス様からもたらされる喜びに生かされる私たちにとっても、大切な大切な期間となると言えるのです。
前 奏 - 主の昇天こそ - J.パッヘルベル
招 詞 詩編130編5-6節(下記)
賛 美 讃美歌21-580(1,3,4) 新しい天と地を見たとき
主の祈り
聖 書 使徒言行録1章3-8節 (新約p.213)
祈 祷
黙 想
説 教 「神の約束を待つ」 浅輪一郎伝道師
祈 祷
賛 美 讃美歌21-575 球根の中には
献 金 (※礼拝献金は、入退場の際に、また口座への送金でお捧げください)
感謝祈祷
賛 美 讃美歌21-27 父・子・聖霊の
祝 祷 小野慈美牧師
後 奏
分かち合い
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5わたしは主に望みをおき/わたしの魂は望みをおき/御言葉を待ち望みます。6わたしの魂は主を待ち望みます/見張りが朝を待つにもまして/見張りが朝を待つにもまして。(詩編130:5-6)
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